俳句 田畑益弘俳句の宇宙

田畑益弘 短歌集

田畑益弘の青春歌集「蒼穹」


閑散たる二十四時間レストランこんな時だけ秋を感じて

疲れたる紙幣の如き掌(て)をしたる静かな男きりぎりす売る

黒人悲歌まひるの風に紛れくる曲がってもまがっても裏街

時計屋のすべての時計狂へりき真昼の静かなる多数決

酩酊(めいてい)せん酩酊せん人と人の間に暗き国境あり

若葉光ゆゑなく憂(う)しと思ひをり人間といふ暗闇我は

新聞で朝の日射しに顔覆(おお)ふ電車の席に罪人のごと

追憶に耽るごと「六十年安保」が語られゐる一億の欺瞞(ぎまん)

イラクの暴挙支持する民を想ひをり寝苦しき夜の寝返りのたび

「国際貢献」自明のごとく云ふ者の正義に疲るる夜長(よなが)なりけり

「恋死ぬ」といふ古き言葉に憧るる失ひしもの見ゆるこのごろ

マルクス主義は何なりしかと果てしなく反芻(はんすう)しやまず月のなき夜

病後の息弾ませのぼる塔の上(え)に早や青北風(あおきた)の空はありたり

けふもまた在り甲斐もなき生業(なりわい)の果て夜霧の駅にたどりつきたり

不況なる会社の地下の用度課の鉄の扉に冬深むかも

砂時計の砂落つる見つつ大マゼラン雲のことなど思ふ

風さへも遊び道具にありし日を語れど虚(むな)し電脳童子に

ジーンズの袖にひと拭きせし林檎若く貧しき恋にありしよ

帰り来て夜の金魚に餌(え)を与ふ水ゆらめきて心ほぐるる

羚羊(かもしか)の意識する眸(め)の涼しさよ吾が見る前に吾を見てゐつ

ただ一人生き残りたる世を想ふ俯瞰(みおろ)す位置に観覧車来て

山頭火にも寅次郎にもなり難し社の屋上に秋の雲見つ

勝ち目なき消耗戦をたたかへる哀しみに似つつ街は灯りぬ

「わたし」とは記憶にすぎず丁寧に履歴をしるす一枚(ひとひら)の紙

クローンの「わたくし」がもう一人ゐて鏡の中に暮らしてをりぬ

街頭の曲面鏡に歪みつつ鮟鱇(あんこう)のごと口開(あ)く未来

このごろ本を読まなくなったと同僚は云ひて目つむる電車の席に

檻内(おりぬち)の怒れる狒々(ヒヒ)を見てをりぬいつか哀しき心となりて

拒む如く誘(いざな)ふ如く所どころ深き闇あり真夜(まよ)の都心は

蝿を見て理由もなきに可笑(おか)しき日漠然と日本を信じてをり

冬海の白き傷もつ貝拾ふ吾が失ひしものの如くに

蒼穹へ去りゆく蝶を見つめをりかつて何かを諦めし眸(め)に

いつしかに心和(な)ぎをり退(ひ)け刻の人波のなか歩調合ひつつ

人退けしオフィスにひとり残りをり己(おの)が実在少し感じて

逢ふべきか逢ふべし告ぐべきか告ぐべし君待てば駅に声反響(こだま)

皆違ふ貌(かお)もつことぞあはれなる同じ列車を駅に待ちつつ

端末を叩く直(ただ)ちに「トモダチ」が電子回路を通りて現(あ)れぬ

痂(かさぶた)をしひて剥がしてしまひたる思ひに似つつ電話終へけり

黒と白のあはひの色よ灰色の背広に鎧(よろ)ひ今朝も出でゆく

「金で買えないものはくだらないもの」とふ少女の言葉何かを撃てる

吾が視野を過(よぎ)れる鳥は意志もちて哀しきまでに直線を翔ぶ

制服に着替へて佇(た)てば鏡中に虚仮(こけ)の面(おもて)の人現るる

挑発せる吾が指先に真対ひて羨(とも)しきまでに蟷螂(とうろう)青し

女性より学びしことのひとつにて淋しい刻(とき)もふと微笑める

瀕死なる母を想へばいつしかに飯と一緒に泪(なみだ)噛みゐる

母逝きて団欒の椅子余れどもそのままに置く誰も座らず

生きながら戒名を貰ふと父が云ふ母逝きてより何を思へる

老い父は二階に上がり花を替へ母の遺骨にもの言ふ今朝も

秋草の花にとまりつとびつして白き小蝶に重さありたり

逝きし母偲びつつ飲む水割りは水に薄るるものの仕合はせ

亡き母にもの言ふ如く独りごち父座しゐます夜長なりけり     

蕎麦殻(そばがら)の枕に軋む搏動を暫し聴きをり心臓(しん)を病む吾

すでに亡き星の光も交(ま)じらふべし母逝きし年果つる夜の空

冬の午後孔雀は羽を拡げつつ少なき人を集めてをりぬ

死によりて死への恐れも終るとふ哀しきことを生と思ふも

わが飼へる小鳥の幸不幸など思ふ自由が死のみ意味するとして

冬星の真青き光飽かず見つ孤立無援を自(し)が選び来て

猫二匹パソコン二台増えたれど母在らぬこと大きなるかな

もの言ひて虚しき夜なり反芻せる柊二(しゅうじ)の歌の「戦争は悪だ」

近づきて屈(かが)みて見たり絵硝子の欠け片(ら)の如き冬の蝶の屍(し)

訪ぬれば父母(ちちはは)の家恙(つつが)なく五分遅れて古時計鳴る

何見ても母想ほゆる部屋ゆゑに抽象画など壁に飾りぬ

わが生(しょう)の残り時間をふと思ふ移ろひやまぬ秋雲見つつ

滾(たぎ)つ瀬を流され来たる葉の如く中年といふ澱(よど)み愉しむ

皆違ふ結晶体の雪なれど皆融けてゆく定めもつかな

一枚のフロッピーにし収まりぬ書きなぐりたる青春の詩歌

水と水たたかふ如くスコールが海の面(おもて)を容赦なく打つ

核よりも恐ろしき武器使はるるアメリカ映画虚構と思へど

いづくへと渡る群れ鳥眠らざる都市の夜空に羽音光れり

ミサイルは許すまじされど彼(か)の国の飢ゑたる子等に何の罪ある

逃げもせでわが身ほとりを魚泳ぐ恐れ知らぬは知らぬままゐよ

ビルヂング余剰の光り溢れつつぬばたまの夜に屹立(きつりつ)したり

都市といふ巨(おお)き劇場たそかれて吾が演じゐる通行人A

「原子より生まれ原子に還る」とぞ物理の本の一行に和(なご)む

一切が滅び去りたる世の如し白布にひとつ蟻の彷徨(さまよ)ふ

正体は徒(ただ)のをとことをんなゆゑ短き夜をしのび逢ふべし

うらうらと凪(な)ぎわたれども青年の眸(め)に春海は荒れやまざりき

忘却は爽快なりと電脳の空き領域を増やして遣りぬ

百千のイルミネーション赫(かがや)きてホテルの床に影ぼふし無し

滝音を少しく離れ滝誉むる言葉貧しよ響(とよ)みの中に

蟻地獄逸(そ)れて過ぎたる蟻を見つ事無げに経(ふ)る夏の日の午後

非在(なき)ものを見て在るものを見ざる眼を持ちつつゐむか暫し瞑れ

脳のこと考へてゐる脳ありて人体模型に透ける脳髄

退屈な休日の午後書店には「殺人事件」が溢れてをりぬ

つくづくと親不孝なり母の骨摘(つ)まみ損なふ吾が箸の先

甚(いた)く疲れ帰りたる夜は音消してテレビ見るなり魚見る如く

擦れ違ふ一瞬なれどランナーの勁(つよ)き眸に哀しみを見つ

無機質な実験室にクローンの猿が餌を食(は)む哄(わら)ふ如くに

「社会主義は敗北した」と賢(さか)しらに云へど我らは勝者だらうか

「愛国心」と言へば何かにつながってゆくこの国を我は哀しむ

釘抜にくの字となりて釘ぬけて哀しき事を想ひ出でしむ

白秋の空にささ波立つ如く鰯雲見ゆ君に逢ひたし

億兆の金の世なりぬアルミ貨が夜の舗道に鈍く光りて

守旧派の反発の語の洪水にわが企画小さき帆船(ほぶね)の如し

わが企画黙殺されし会議了(お)へ漂ふ如く席に戻りぬ

嘆く如く鶴の嘴(くちばし) 垂直に上向くときの天は高かり

一斉にともさるる灯に愕きて非常口に殺到せり闇は

秋澄める空は哀しよ落されし物の如くにわたくしがゐる

焦点のさだまらぬ眼に何か見て孤り酌む者相似てをりぬ

人間が失ひしものの墓標として高層ビルは屹(た)ってゐるなり

寒き夜の夢に見えたり杳(とお)き日の安保闘争あざあざとして

将軍が悪代官を斬り殺し百姓が喜ぶ愛でたしめでたし

人生のどのあたりなる夕焼けの染めたる河のゆくへ見てゐつ

わが脳のいづくに潜むひとならむ忘れたる頃夢に出で来る

詩を書きて不器用に生き死ににける天野忠の裔(すえ)として生く

地下鉄千代田線霞ヶ関駅に迫る車輪は慟哭(どうこく)したり

真夜醒めてふと意識せり限りあるときを刻める心臓の音

紫は恐ろしき色水仙に水底(みなそこ)のごと昏れて来にけり

モニターにコロンのかほり不意にして人工知能性もつ如し

わたくしをわたくしと思ふわたくしが鏡の中に歯を磨きをる

ペルソナをまとひサイバースペースを浮游せる「わたし」とは何なる

真夜覚めて定刻に出社する如くインターネットの森に入りゆく

朝焼けに染まりて仮の世の如く通勤電車に揺られてをりぬ

何故に走る走り続けるのか振り向けば一切が過去なる

電脳の仮想空間の墓なればいづくに遺骨納むべからむ

「橋本も小沢も不潔」と言ひ捨ててテレビ消す母処女(おとめ)の如し

顔しかめ炎暑の天(そら)を仰ぐときわれはわたしを生くる外なし

目高皆瞬(またた)く如く向きを変ふ一尾の魚にあるかのやうに

しのび逢ふ短夜の街見慣れたるイミテーションの花も美し

母の死後いよいよ早く時経(ふ)ると老い父は云ふ冬用意しつつ

身の上話「ぜーんぶ嘘」と笑はせて哀しすぎるよ酒場の善花(ユンファ)

会社より帰りて暫し電脳の仮想空間に漂ふけふも

母の亡き居間に座しゐてつれづれに父が爪切る音ぞ淋しき

地下茎の如き地下道中年が落葉の如く臥てをりにけり

白日の玻璃(はり)に羽たたく蝶の影春の訪れ告ぐるごとくに

没(いり)つ日を背に峙(そばだ)てる都庁舎は墓標の如き影を落とせり

文学も恋も故郷も一切を背後にしつつ走り過ぎたり

海風に素膚晒(さら)せば甦る記憶に古(ふ)りし恋の花火は

雨の夜のひとすぢに鳴くこほろぎにしろがねの如くわが命冴ゆ

ウイルスに感染したるパソコンを哀れがりをり己(おの)が身のごと

なぜだらう逢ひたきひとに逢へぬときスカボロフェアを口遊(ずさ)みゐる

恋人と氷菓なめをり無思想の舌氷菓の色に染めながら

柩より抜け出すことに決めてゐる荼毘(だび)に付さるる肉体残して

いつ見ても含羞(はにか)む冬の太陽氏空の隈(くま)へと退場したり

泣くから哀しくなるとふ心理学信じて泣かず母逝きし日ゆ

白地図の白き広野を蟻がゆく生き残りたる唯一のごと

クローンの牛が死にまたクローンの牛生まれ何も言はなくなり

「あおい」と打ち「青い」「蒼い」と変換すれど思ひ直し「あをい」とぞ打つ

ぎす鳴ける切り岸に佇(た)てば青すぎて寂しい空を海は映せり

音消してテレビ見をれば水槽の魚見るごとく心しづまる

眠られぬカプセルホテルテレビには原爆記念日映ってをり

音もなく琉金(りゅうきん)の尾のゆらめくを見つつほぐるる夜の心は

爆弾テロ・亜ヒ酸・アジ化ナトリウムどす黒き意志世は孕みゐる

四畳半、バス・トイレなし、ラジオひとつ陽水の「傘がない」好きだった

少年がずぶ濡れのまま哄笑す傘もたぬこと誇る如くに

我が家も縄張りならん鬼やんま窓から窓へ貫(ぬ)けてゆきたり

眠る毎にあの世へと近づくから目覚時計きりきりと捲(ま)く

逢ひ難きひとを思へば夕暮れのいづくかとほき蝉の声せり

咲き熟れて寧ろ昏(くら)しよ花薔薇は瞼(まぶた)のやうなはなびらをもつ

瀑(たき)の音は吾が身ぬちにも鳴り響(とよ)み吾在りながら吾無き如し

翔べるだけカラスはましと思ひつつ生ごみの辺を社へ急ぎゆく

鉾町を遠ざかる耳澄ますとき幻聴の如く祇園囃子鳴る

常磐(ときわ)なる御所の緑は茂りつつ鬱といふ字に似てをりにけり

逢ひ得ざるひとを思ひぬ遠花火音より先にひらくを見つつ

懸崖(きりぎし)に眼下の海を見つむれば心のどこか死にたくもあり

ぬばたまの真夜の静寂(しじま)に若者の悲鳴の如き花火響(とよ)めり

深閑たる真夜の鋪道(いしみち)病葉を紙と一緒に踏みて行くなり

つつ抜けの西日の部屋に位置変へず我は何かを憎んでをりし


 ※朝日歌壇、読売歌壇、NHK歌壇、「短歌朝日」に、発表したものを中心に収めた。

 ※難読語の読み方は、現代仮名遣いで( )内に記した。

 

俳句 田畑益弘俳句の宇宙 HOME

 

1998年5月制作

 

※ご感想,ご批評をお寄せ下さい.

masuhiro@kyoto.zaq.ne.jp