3月

女身仏(にょしんぶつ)見惚れて佇つも弥生かな

三月や付録に膨れ四月号

啓蟄(けいちつ)のすぐに喰はれてしまひけり

梅かほる恋の絵馬など見てをれば

跳び越す子踏みて割る子の薄氷(うすごおり)

春寒(はるさむ)や待合室の人体図

春宵(しゅんしょう)や女身(にょしん)の如き東山

真夜の雨ぶるぶる払ふ恋の猫

耿耿(こうこう)とけものみちにも雪解かな

春愁の玻璃巡らせてエレベーター

観覧車降りたくなりし春愁ひ

蛇出でて老婆の逝きしこと知りぬ

テニスコート風ちらちらと光るかな

皆知らず背(そびら)に風の光ること

小倉山借景(しゃっけい)として水温む

掴(つか)めさうで掴めぬ魚水温む

お日様に目と鼻と口のどかなり

春の海蹴飛ばしたれど鷹揚(おうよう)なり

うろくづになりたきこころ春の海

啓蟄の小銭の増ゆる一日かな

蝿生(あ)れてすぐに命を狙はるる

麗(うらら)けき京のお菓子は見るものどす

うららかな空のいづくか人の死ぬ

三味線草と無邪気な風といつまでも

東山一番先に笑ふかな

つなぐ手のあるといふことあたたかし

嘘つかぬ蝌蚪(かえるこ)の群れ見つめゐし

三匹の猫と過せり雪の果

同じ行(くだり)往きつ戻りつ目借時(めかりどき)

帆を揚げよ春海に風生まれつつ

春月に祖父祖母母の遺影ゑむ

春の闇あかるくなれば帰すひと

笑(え)まふよな月の出てゐる西行忌

麗日や和装のひとの近づき来

犬ふぐり犬ににほひを嗅がれけり

春落葉あなたはいつも留守である

亡母の顔映る筈なき蝌蚪(かと)の水

春空のめりはりを翔ぶ鳩白き

コップから春はいつでも溢れたがる

白梅や生涯未婚なるひとと

冴返る白梅町(はくばいちょう)に来てみれば

春の闇ひとの耳朶皓(しろ)かりし

こんもりとひとの寝てゐる春の闇

春睡の褥(しとね)の裏の荒野かな

馥郁(ふくいく)と牛乳白き春曙

春愁や寝てばかりゐる猫とゐて

春雨か胸の谷間に光るもの

春雨に濡れし二人のにほふかな

鳥帰る比叡(ひえい)の空の瑠璃(るり)色を

北上の雲は天才山笑ふ

諳(そら)んずる啄木の歌鳥雲に

春愁やあくびをしても泪出て

蛇出でて村から町に変りけり

葉隠れて自ら幽(くら)し花椿

ひとと逢ふ椿の落つるくらがりに

燦々と僕の風船見失ふ

地球が嫌で風船が逃げてゆく

剪定(せんてい)の清(すが)しさにまた母とほし

春塵にあらず都塵(とじん)にまみれけり

帰らうと犬吼えてゐる春夕焼

燐寸(マッチ)の焔(ほのお)消ゆるまで見つ冬終る

春蚊出て猫の機嫌のすぐ変はる

しやぼん玉壊れて残す一雫(ひとしずく)

しやぼん玉未来の方へ飛び失せぬ

母は留守父なき子らのしやぼん玉

死にし子は賢かりしと夕遍路

お遍路の過去(すぎゆき)語る二三言(ふたみこと)

遍路一点紺青の夕山河

閉鎖系水域となり涅槃西風(ねはんにし)

飯の香に亡母ゐるやうな花菜漬(はななづけ)

そのかみの飛鳥の都春の泥

おほかたは嫌われに出る啓蟄よ

春昼に亡母の忘れし父坐せり

春の夜の老父の早寝もの哀し

去来とふ唯二文字や春寒き(落柿舎)

アフリカ産フラミンゴゐて水温む

夕東風(ゆうこち)に西下して来るひと待てり

また焦げてゐる春昼のフライパン

単線の鉄路古(ふ)りたり竹の秋

竹秋(ちくしゅう)や古りし電車の古りし音

竹秋を綺麗に生きてゐやはるわ

花菜漬男所帯を彩れり

木漏れ日を地に遊ばせて囀(さえず)れる

菜の花の黄になじみ初む他郷かな

ぼんやりと昔日想ふ柳絮(りゅうじょ)かな

この路の風が好きなり若柳

ひとりつ子の風船いつも天井に

冴返る老父の日記鍵かかり

花の種蒔きて日曜らしくなる

花の種蒔く亡き母の誕生日

飯蛸(いいだこ)の飯(いい)ほろほろと酔ひにあり

春昼の螺子(ねじ)の自づとゆるみをり

啓蟄や土に真白き鳥の羽根

月に来て月に引く鶴いま翔てり

朝寝してひとに煙草を教へけり

赤ん坊のいつも握握(にぎにぎ)辛夷(こぶし)咲く

春泥(しゅんでい)越え皆大盛の飯を食ふ

春泥のうつくしかりし月夜かな

春愁の紙幣を戻す販売機

麦青み青み際立つ我が孤独

春疾風咥へタバコが似合はない

死ぬるとは石となること陽炎(かげろ)へり

水温む一人旅より帰り来て

貝寄風(かいよせ)やひとを見送る空港に

貝寄風やふわつとジャンボ離陸して

雨降れば亡母よ母郷よ花菜飯(はななめし)

三日月湖底見せてゐる涅槃西風(ねはんにし)

涅槃西風美しき潟ありしとぞ

寒戻る哀しみもどり来る如く

青麦に大股の風吹きにけり

バター飴口に含(ふふ)みて春三時

燕飛ぶラッシュアワーを筋交(すじか)ひに

雨の鬱つばめ見てゐて忘れけり

春塵の靴なりはひの靴なりし

競売(けいばい)の一戸建てなる燕の巣

我にしがらみ汝にしがらみ燕来る

つばめ飜(ひるがえ)るとき胸の奥鳴りぬ

春いづこ幽(かそ)けき琴の音を聞けど

春愁や窓の人形うしろ向き

春愁の灯らぬ窓がひとつある

鶏鳴の今なほ緊(ひし)と春の土

青年の脛(すね)を汚して春の泥

いまどきの若いもんゆゑ春の風邪

きらきらと狐雨(きつねあめ)降り水温む

空港にひとを見送る鳥曇(とりぐもり)

鳥雲に北ウイングにくちづけて

大仏の坐(ま)します春のど真ん中

残雪光よそ者の眼を苛(さいな)める

春雪へ犬にせがまれ出でゆきし

牛乳を老父は温(ぬく)めて春曙

われ歩々(ほほ)に去るべし鳥は雲に入る

蛇口より一縷(いちる)の春のひかりかな

春空や象の鼻より水噴きて

春蚊出づ裁縫箱の小抽斗(こひきだし)

春の雲大河に浮かむ日もすがら

ひねもすに広沢の池春の雲

白糸の春のひかりの針とほる

京極の朧へ入りぬ洋画見に

独り来て自愛の如し青踏むは

昼酒に己が心音春炬燵(はるこたつ)

昼酒を呑みたくなりし雪の果

燕(つばくろ)や職場に向ふ足早に

春雪や女傘さす青年に

横文字の新聞を買ふ鳥雲に

春しぐれ蕎麦啜りつつやりすぐす

逆立ちして見る山は爆笑せり

われ怖るコバルトの空青き麦

街道逸(そ)れ亡母の生家へ春の泥

寺町の香(こう)のこもれる春の雨

古書買ひて出づ啓蟄の河原町

竹秋の去来とふ二字拝(おろが)みぬ

母稀に書きし字遺る苗札(なえふだ)に

なで肩の美しかりし名残雪(なごりゆき)

彼我の距離大切にして青き踏む

刻知らぬ野遊びの児等とこしなへ

猫もまた歯より衰へ恋もせず

風光る一瞬落馬したるかな

騎手落ちて春風となる競走馬

梅を見て古風な恋をしてをりし

若草に色とりどりのスニーカー

久闊(きゅうかつ)を叙す若草となりにけり

段ボール箱を愛せり捨仔猫

春愁の鏡によりて貌ちがふ

人中に春の愁ひを忘るとも

朧月酔うてはゐぬと酔うて言ふ

客人(まれびと)の殊によろこぶ花菜漬

酒呑みの一膳の飯花菜漬

春袷(はるあわせ)この陋巷(ろうこう)に誰訪へる

亀鳴きぬ誰も聞いてはゐぬゆゑに

無縁とてまた有縁(うえん)とて春愁ひ

涅槃会(ねはんえ)も済みて出てくる寺の猫

大いなる涅槃図にして猫も哭く(東福寺)

琴弾くと舞台しつらふ春祭

春雲のちぎれし孤つ翳りあり

春眠の迷宮にあり白世界

春眠の一人で迷ふラビリンス

春雨の傘のうちなる愛語かな

天つ水降りしく春の墓参かな

山つつじ燃えつつ墓地が見えてくる

桜湯や婚姻色のひとの頬

春空へ何の煙ぞゆらゆらと

鴨川の鷺(さぎ)の白さや春寒き

目薬の目に沁むるごと冴返る

空未だ泪もろくて彼岸かな

春分のティッシュを貰ふ寺を出て

雑沓に亡母を見出づる春ショール

老人の用心深き余寒かな

黙(もだ)すことに慣れてゐるらし麦を踏む

案外に海女(あま)老けてゐてふと哀し

にやにやと春を疑ふ男かな

女教師の憂ひあらたに春休み

春眠の大きなおほきな白兎

達筆のつづけ字のよに春の雪

弥生式土器より落す春の泥

韋駄天(いだてん)といふ神のゐて風光る

荒東風(あらこち)にうごかざるもの捨錨(すていかり)

かたまつて皆鳴いてゐる捨仔猫

こひびとを待ち焦がれゐる物芽かな

左党なれど目が欲しがつて桜餅

中京(なかぎょう)の伯母おもたせの鶯餅(うぐいすもち)

蓬(よもぎ)摘む生き存らふる老父のため

大原の遅まきながら土は春

紅椿くちびる奪ふとき落つる

ところで今日蝶を見たよと留守電に

草餅を生き存らへて老父の食ぶ

春炬燵(はるこたつ)上目使ひに比叡見て

白梅に伯母さま凛(りん)と老いたまふ

青麦に濃き影をもつ農夫かな

春潮のときをり小さき渦生みぬ

いつしかに宴めく席春の宵

若草やいつもそよげる身のほとり

地虫出て雨に濡るるを喜べり

鳥帰る鏡の如き志賀の湖

そのかみの志賀の都や雲に鳥

雲丹(うに)ありてひとりが愉しひとり酌む

春祭すめば都会に出てゆく娘(こ)

燕来る一人欠けたる旧き家

鳥帰る美しき日々ありにけり

鳥雲に過ぎ去りし日々眩(まばゆ)くて

鳥雲に置いてけぼりのわたしかな

かかる夜はふたり酌みたし春燈下

春燈やゝ暗うして酌むべけれ

春燈下をんなの過去を話さるる

春寒き勝手に開く扉かな

真つ青の奥へ奥へと鳥帰る

遠くより針魚(さより)釣らるるひかり見ゆ

囀(さえず)るやベートーヴェンのデスマスク

永からぬ葬(はふ)りのときも囀れる

囀るや柩の小窓開けておく

春の水翳ればなんといふ昏らさ

苗代水(なわしろみず)ときにあをともみどりとも

春眠のトースト焦げてゐるにほひ

春愁の鏡に寄する顔と顔

春の階段(きざ)うつらうつらと上るかな

君嫁ぎ遠くとほくに花咲きぬ

蕗の薹(ふきのとう)母の分まで父生きて

母子草母なき人に摘まれけり

風は弥生美食の猫の白髭に

何かまだ買ひ足らなくて遅日(ちじつ)なり

遅き日を三分待つて蕎麦食うぶ

飯炊けてゐるといふこと長閑(のどか)なり

人生は短けれども日永かな

一年(ひととせ)の短さけふの日永かな

人肌に近寄るごとく春燈に

如月から弥生へはつと老いたまふ

死ぬ人に弥生の空の青すぎる

流れねばならぬ大河の日永かな

春寒の非ピリン系の頭痛薬

ともかくも父の手料理山椒の芽

鳥帰るすつからかんの胸のうち

春夕焼見まはしたれど母は亡き

春夕焼オカリナを吹く少年に

春夕べそろそろ木馬回りやむ

砂時計の小さな沙漠春夕焼

春夕焼ふいに我が家が遠くなる

永き日の唇淋し唄はねば

遠足の列の尻尾(しっぽ)は乱れをり

恐竜の肋骨(あばら)にあそぶ春日かな

寂莫と天日昏らし渦潮に

渦潮に定めの如く日の翳る

母の死後父の眼に降る春落葉

綿雲が綿雲生んで春の空

春の闇ひとの唇のみ見えて

病室から眺むる風はいつも光る

見るまへに跳ぶべし風を光らせて

風光る君の肢体の七分咲き

喪のひとのうなじの白き春の汗

春雷(しゅんらい)や寝返りをうつ夜の底

春の雷二度ほど聞きて寝入りけり

寝てゐるのか死んでゐるのか花の下

花時の美しき嘘ゆるされよ

春雷や夜の鏡を見る裸身

茂吉集買ふ春泥の古本屋

蛤(はま)つゆを頂くさらに酌まんとし

存(ながら)ふる父の哀しみ蜆汁(しじみじる)

亀鳴くや長生きといふ哀しみに

空さびし鳥篭(とりかご)の鳥囀れば

春愁や鳥篭の鳥歌へども

ルージュつけおませな少女リラ咲きぬ

少年より少女大人ぶ土筆(つくし)かな

小さな部屋二人の城よクロッカス

猫の尾に長短のある春愁ひ

二つ三つ星を落せり春疾風

般若面つけて舞はばや春の宵

若鮎のひかり見しのみにて足らふ

小家昏るつばくろもまた核家族

巣燕(すつばめ)を終着駅にいつくしむ

無人駅つばくろ一家棲まひをり

脳天の一点晴るる揚雲雀(あげひばり)

雲雀啼く耳の奥から晴れて来る

鳥雲に入る首筋から人老けて

指の傷舐むるほかなき野茨(のばら)の芽

暁闇(ぎょうあん)に銀の耀(かがよ)ふいかなご舟

透明の傘のうちより桜かな

花冷えや鱒(ます)の青さの北日本


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