8月

釜の蓋たれが開けたる劫暑かな

吾れ遊子揚羽も遊子ちぎれ雲

百代の過客にまじり碧揚羽

揚羽に針刺してこの世のものとせる

蝉山のその只中の群集墳

病葉や余白の多き日記なる

恍惚と雲浮みゐる草いきれ

夏惜む棒の如くに突つ立つて

頭の中の回路混線茂るかな

憂鬱の鬱といふ字の茂りかな

ひとすぢの涼ふつと生れふつと消え

貝殻のうらがはに消ぬ虹の橋

少年の蹴る缶からの晩夏光

少年に教はりにける夏の星

キューピーの海を漂ふ夏の果

石くれを机の上に夏惜む

八月の雲群るゝなり爆心地

一途なる雲の白さや原爆忌

くれなゐは怨のいろなる金魚かな

向日葵の視線といふを感じけり

恍惚と蛇に呑まるゝ蛙見し

くらがりに飯白すぎる日の盛

秒針の音あきらかに日の盛

どう見てもゑまふ死顔百合の花

仰向けに全うしたる蝉と人

空蝉にいのちはちから残しけり

「蜩・かなかな」六句

蜩やふと恐ろしき水の底

赤光やかなかなしぐれ炎むらなす

かなかなや鏡の奥の幾山河

今生のかなかなに耳貸してゐる

遠蜩みなかみへ風澄みまさる

遠ひぐらし暮色はじまる辺りなり

 

蝸牛いつも翔ぶこと考ふる

太陽も闇も愛して蜥蜴ゐる

比良山系へ秋蝶となりゆけり

くちなはも後ろ姿は淋しかり

大水母血の出ぬ深手負うてをり

わが影も黙秘をもちて暑に耐ふる

夜の秋の水飲めば身に水の音

東京は巨き蜘蛛の囲かも知れぬ

この街の窮屈といふ暑さかな

水母干す水母の泪乾くまで

ゑんゑんと(蜿々と)電池を買ひに油照り

籐椅子に旅してゐたり過去未来

悪人の虹を見てゐる泪かな

片蔭や無声映画に見しやうな

片蔭を上ル下ルの京(みやこ)かな

片蔭の京に図子(ずし)とふ小道かな

八月六日くしゃりと卵割り損ね

原爆忌蟻のごと群れ蟻にあらず

肝試しすれ違ひしは誰ならん

唖蝉のうごかざる壁終戦忌

白服の白きゆゑ皺際立てり

寝不足の眼(まなこ)に深し蝉の穴

一と生とは永き一と踊りに過ぎぬ

不意に止む一と踊りとも一と生とは

「大文字(だいもんじ、だいもじ)」八句

大文字たまゆら濁世うるはしき

人群れて息しづかなり大文字

ゆきずりの人と見とゞく大文字

大文字果てし真顔を持ち帰る

大文字見終へたる眼に京寂し

消えてより川音高し大文字

大文字の火(ほ)のさかりなる静かかな

字頭(じがしら)はちゝ金尾(かなわ)ははゝよ大文字
(字頭は「大」の字の頂点、金尾は三つの字画の交点のこと)

籐椅子や過去の断片きりもなく

知らぬ貌増えたる母郷盆の月

電線の多き下町いわし雲

その先は放心となる鰯雲

走馬灯逢ひたきひとのありにけり

造花にもいのちの褪せや天の川

流れ星常に孤独を撰り来たる

蓑虫のゐながらにして流浪かな

露の世に思ひ直して正座せり

稲妻や古鏡もつとも醒めやすき

いなびかり鏡一面醒めてをり

母の忌にして朝顔の紺一つ

玄関ゆ入り来たるかな鬼やんま

蟷螂に何かつぶやく老婆かな

一握の砂蟻んこをふゝみをり

烏蛇おのれも此処が母郷かや

魚の屍の澱みに白く夏終る

夏終るまなうらに海暗くうねり

雑草の力の欲しき残暑かな

星月夜未知といふこと愉しけれ

コンピュータ働いてゐる星月夜

秋色といへるもの帯ぶ行く人も

霧の夜のひと世に一度契りしこと

新涼の青竹濡らし朝の雨

けふ処暑と思(も)ふ昼めしの淋しさに

まほらとは秋津とびかふ此処らなる

蜻蛉飛び交ふ賑やかな光かな

八月の峠越したる吐息かな

近寄れば老婦なりしよ虫売りは

飛蝗とんで太郎次郎は村を捨つ

きりぎりす遠(おち)にも一つ鳴いてをり

蚯蚓鳴く真闇のこりて母郷かな

よべ二つこよひ一つや秋蛍

蛍の屍は水に流しぬ一つづつ

秋蝶の行方見つむる心かな

あす死ぬる蜉蝣とべり夕山河

新涼の一塩くはしゆで卵

あさつてが食べごろと思(も)ふラフランス

とつぷりと昏れてより食ぶ水密桃

触るゝだに瑕瑾とならん桃白き

たまゆらの逢瀬なりけり白芙蓉

秋風や誰かに似たる貌よぎる

新秋や水平線を見にゆかむ

水に草に切っ先見えて秋はじめ

ふり返りふり返り去る秋のこゑ

蜻蛉に見ゆるせゝらぎ天にあり

もしや我より鬼の子はしあはせか

燕去る空に矢印ある如く

天の川今宵は誰が召さるゝや

満月や憂世の出口開ききる

根の国の人おもほゆる桐一葉

名もなき山名もなき草や虫時雨

耳底に心あるなり虫の秋

日本晴無性に秋刀魚食ひたかり

秋の雲五十のまなこ濁りしか

こほろぎ一途雨音にまぎれざる

風向きの変りて止みぬきりぎりす

火星にも水ありしとよつづれさせ

祖の家の吾が知らぬ闇ちちろ虫

静かな人静かな時間草ひばり

虫籠の虫を逃がして喪にこもる

眠るまで身に虫の音を溜めてゐる

鈴虫の流れの中に寝まりけり

星飛ぶをことごとく知る潦(にわたずみ)

西方の闇深うして流れ星

不帰の客のせ昼の月白き舟

人恋ひてをりをり月を見る夜かな

月無くてドーベルマンに睨まるる

木琴の音(ね)鉄琴の音や天の川

月白やほろりと酔(え)ひて二年坂

胎内に聴きし記憶や露の音

法師蝉鳴くだけ鳴いてついと翔ち

蟷螂の癇癪吾(あ)には良くわかる

顔馴染みなりこの径の鬼やんま

日の匂ひせり銀やんま交みをり

赤とんぼ早瀬の虹に見失ふ

テレビ消してよりちちろの佳境なる

うろくづの眉目うるはしき水の秋

走り蕎麦けふ素通りはできぬなり

少年の日を語りをり星月夜

もの思ふ視野蓑虫の揺れてをり

秋のこゑ眸澄みたる者が聴く

新涼の音こぼしそむ砂時計

放屁虫人の数ほど神のゐて

秋めくや遠街(おんがい)の灯を見つめゐて

燈火親し目瞑りてもの思ふにも

現し身を水に映して踊りゆく

すゞやかに揃ひて踊る影法師

静物のごと魚(いお)睡る無月かな

おもひでの服に着替へて月今宵

コンサートの余韻を歩む良夜かな

秋風に連れて行きたしほしいまま

深々と木々も息吸ふ星月夜

忘れ扇形見となつてしまひけり

ふり向けば気がふれるなり夕花野

大花野どこかに亡母のゐる如く

波に楽風に言の葉爽やかに

もとほりて孤りを愛す秋の海

消息を知る者もなく秋の虹

秋晴の大きな卓の置手紙

水澄める嵯峨に飛竜頭(ひりょうず)買ひにけり

フラミンゴシンメトリーに水澄めり

冷やかに人の心を読みゐたり

爽涼や哲学の道ひと気なく

爽やかや文豪の墓寂一字(谷崎潤一郎の墓、法然院)

化野に残り蚊のこゑ聞きにけり

六道の辻秋蝶を見失ふ

愛宕山瘤のあたりに秋の蝉

鞍馬山かなかなしぐれ降らしけり

鳴きやめてつくつくほふし充電中

空耳か秋の蚊の声すぐに無く

亡父の椅子亡母の椅子置く秋の晴

秋の夜の振子時計の振子音


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