5月

端居へといよいよ火星近づき来

端居して火星に水のありしこと

網戸よりわたしの不在わが覗く

麦秋やフラスコの水滾り切る

余花の雨一人のひとを思はしむ

薫風や京の鬼門の山にして

やうやくに男やもめの衣更ふ

夏服のあらぬ所をくすぐる風

大道芸に人群れて薄暑なる

街薄暑ライスカレーのほの香る

子かまきりいちにんまへに怒りけり

あてどある蝸牛なれば行きゆきぬ

病む者の目に蝸牛の迅さかな

新樹光気根とゝのへ鳥翔ちぬ

日には日の月には月の白牡丹

現し世の外れはづれの蛍かな

短夜の女指環を置き忘る

封筒に窓のあること涼しけれ

浮御堂うち慄ひけるはたゝ神

杉の秀の夜もあをあをと風薫る

風薫る若狭街道十八里

明易きつむりに韻く川音(かわと)かな

絶海の孤島を想ふ端居かな

まつすぐな径のさびしき麦の秋

麦笛はひとりつきりの刻に吹く

打水や一見客は入れぬ見世

水打つて夕青空を引き寄する

まれびとを迎ふる水を打ちにけり

かげろふの中へ去にゆく賀茂祭

たかんなの早も長脛彦の丈(ナガスネヒコ=記紀では長髄彦)

蝿とんで清少納言筆を止む

たよりなき腕(かいな)撫でをり更衣

父母の死を知る筈もなき水中花

マネキンの視線合はさぬ涼しさよ

葉桜やさんざめきつつ風青む

大青嶺青極まりて暗澹たる

雲の峰化石の竜に人群るる

滝の冷そのまま胸の冷となり

女滝より男滝の冷を鋭うす

相岐れ男滝と女滝冷え違(たが)ふ

昼寝覚むしろ機嫌の悪くなり

街騒もネオンもとほき涼みかな

みなそこの青ざめながら明易き

魔が刻は魔が刻の音に滴れる

未生へとつながる記憶滴れる

滴るや底ひは見えね高ひびき

懸崖(きりぎし)の滴りはげし人拒み

掌の窪に受く滴りの力かな

過ぐるのみ蚊火の渦はも命はも

現し世に後戻りなし蚊遣香

片蔭に熟睡(うまい)の猫や町家筋

洛中や片蔭りゐる細格子

片蔭をゆきて買ひけり五色豆

大いなる片蔭なせり獄舎塀

誰も知らず蟻ひとつ今死にしこと

不発弾蟻生き生きと走りけり

赤き蟻黒き蟻ゐて交はらず

夜の蟻の孤独地獄に我も居り

月欠けて太りゆくなる蜘蛛の影

沈々と蜘蛛飢う己が罠の中

はたと知るぐるり無数の蟻地獄

飽食にして油虫飼ふ如し

灯蛾連れて都心のメトロ終電車

天井の蝿さかしまに浮世見る

雨後の月りんりんとして蜘蛛の網

白日に毛虫焼く火の玲瓏たり

飛ぶことを忘じて走るてんとむし

夏蝶のたまゆら遊ぶ大広間

或る時は番ひの金魚羨(とも)しとも

買ひ足して金魚死なせてしまひけり

景品の金魚すぐ死ぬ浮世かな

金魚のこと宜しくといふ遺言かな

酔へばまた山椒魚を食ひしこと

蛇潜む草の匂ひとおもひけり

おはぐろの水の迅さに遅れ飛ぶ

饒舌な銭亀売を憎みけり

若葉寒墓におもちやの置かれあり

缶ビール飲み干す男車窓に海

いもうとのやうなこひびと白日傘

父の形見母の形見の籐寝椅子

魚偏に堅と書く魚夏は来ぬ

やまびこは遥かはろかへ蝉未だ

少年の秘密は納屋にありき夏

明急ぐ光源氏のものがたり

一語一語こころに蔵ひ花は葉に

父の忌に始まる夏よちぎれ雲

男らしい男といふは涼しけれ

青田風美少年とふ酒に酔ひ

百年の孤独に火照る夏の月

青葉光嬰(やや)にもふぐりありにけり

ふんだんに余生をつかふ端居かな

扇風機とまりて澄みし夜風かな

扇風機澄みて佳人の如く立つ

短夜の窓しほさゐに開きおく

無為の日のなぜか食ひたき豆の飯

鰻焼く匂ひの中に行列す

貝になり猫を晦ますかたつむり

小銭入にほうたる一つ攫ひけり

蟇出づる昭和のままの真闇より

冷奴床下を水淀みなく

五月来ぬ塑像の裸婦の鼓動音

我行けば風湧きあがる青野かな

東山夜も蒼みける麦酒かな

夕端居一人の宇宙ありにけり

メロン出で来たる女将の機嫌かな

緑蔭や鳥語発止と響き合ふ

日に透きつ日に耀(かがよ)ひつ糸蜻蛉

麦秋を袈裟斬りにして飛行雲

玉葱のまろびて光る地の平和

羚羊に視線涼しく逸らさるゝ

夏月やふわりと豆腐掬はるゝ

蕗を煮て町家の奥の暗きかな

釣りし金魚の言ひ分も聴き給へ

夜の蟻を夜へ帰してしづかなり

たとふれば河馬の昼寝と云ふべけれ

こころ根を見透して笑む鯰かな

五日分飛んでをるなり梅雨の蝶

梅雨雑踏とうに亡き人歩いてゐて

巨きなる象の支ふる梅雨の宙

つぎつぎに家人去りにし簾かな

風鈴の三千世界のとある軒

鯖鮨や縁よりの風あをみたる

緑蔭にそろりと仮面脱ぎにけり

緑蔭にばらばらの貌とゝのふる

蝸牛死す未踏の地を数多残し

糸きつくハム縛されし暑さかな

朴若葉面青く詩に病めりけり

一握の砂なげうちし大夕焼

緑さす皿にサラダを盛り上げよ

瞑れば一切は空籐寝椅子

東京を脱出したき蝸牛か

黒揚羽現(あ)れては誰か死にゆかす

一枚の病葉となり世に拗ぬる

覗きたるピアノの内部若葉寒

日焼けしてカレーライスの好きなひと

氷菓子人妻の舌ふと見たり

金髪一本シーツに拾ふ白夜かな

薔薇剪りては美しき嘘おもひつく

此処よりを南国といふ朱欒(ザボン)かな

雑踏にまぎれて安し夏の月

翼など生えてをらざり昼寝覚

五右衛門風呂出でて夜涼に佇みぬ

井守見るその井守より無為にして

淋しさに啼く老鶯か昼深き

岬にも四五戸住みなす夏燕

汗かきて煩悩ひとつ消え失せぬ

兜虫いのちといふはちからなれ

口開けて人形去りし出水川

背泳ぎの海よりも空恐ろしき

扇風機父母逝きていま吾(あ)に仕ふ

冷房をとめて山河を招きけり

水中花玻璃の衰へ隠れなく

わが死後もそこに咲きゐむ水中花

姿見のその一隅の三尺寝

びいどろの魚(いお)もつれなき夏の風邪

亡き父と同じ位置なる夜の端居

蚊遣香来し方ふゆるばかりなり

あはうみに雨音高し洗鯉

脚早に一雨過ぎぬ夏料理

夏のれん一雨来ると女将云ふ

あぢさゐのわたくし雨となりにけり(私雨=限られた地域に降る雨)

明易の遣らずの雨となりにけり(遣らずの雨=人を留める雨)

少年の眸まつすぐ夏帽子

ときじくの杉の香りや冷奴

長生きしてかく冷麦を食ふべけれ

蛍の夜一語一語の濡れてをり

花氷いつもわたしの待たさるゝ

町川を流るゝ菜屑梅雨に入る

昼の灯に人のさゝめく入梅(ついり)かな

起き伏しの影しづかなる入梅かな

川の如く人流れゆく夕焼かな

夕立の一帳羅(いっちょうら)へと降つて来る

夏空や敗けて泣く子を羨しとも

生れし蜻蛉しばし下界のものなりし

蟻の列蟻にも位階あるらしも

斥候の蟻かや一つひた走り

日傘たゝみ後ろ姿となりし墓

苺つぶす団欒ありし日の如く


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