3月

三月の空を去る人来るひと

しやぼん玉消えし彼方に飢餓の国

のどけしや独り言聴くパンの耳

春の月千年杉の秀(ほ)に青む

春の雷土くれ仄と匂ひけり

「雛(ひな・ひひな)」六句

貴(あて)なるは寂しきに似る雛かな

灯を消せばいよゝ真白き雛の面

現し世をしかと見たまふ雛かな

見てをれば見られてをりぬ雛の前

雛の眸にをとこの起居見られゐし

年々に面やつれせる雛とも

来し方の話尽きざり遠蛙

引く鳥の空におほきな起伏かな

水筒に小さき磁石や鳥帰る

邂逅とは別離とは鳥雲に入る

春泥のいづれは乾く愛執も

目刺にて酌むよランボー「酔ひどれ船」

哲学をしながら齧る青目刺

春服の浮力の如きもの纏ふ

野焼きの火打たれて人に従へり

抱擁のあなたに浮む海市かな

そのかみの志賀の都の春の泥

うららかや京のお菓子は見るもんどす

テニスコートちらりちらりと風光る

春昼の大螺子小螺子ゆるみをり

ポケットに寺山修司青き踏む

愛猫に覚られしのみ春の風邪

春風や籠のカナリヤしあはせか

啓蟄や生あくびでは出ぬ泪

啓蟄の早や嘴の先にかな

蟻穴を出づ穴を出づきりもなし

三月の光を歩む白き杖

冴返る白梅町といふところ

春宵を途中下車して高瀬川

沈丁やこの坂道に住みなして

朧夜の人には云へぬ間柄

中年の口笛掠れ麦青む

てのひらに大河を掬ふ日永かな

うららかやチキンライスに三色旗

啓蟄と思(も)ふ大盛の飯を食ふ

霾天を龍は瞠りて中華街

春風の色は朱なり中華街

三叉路や蝶迷ふとき風迷ふ

そぼ降れるけはひの中の朝寝かな

東風吹きてふぁうるふらいとなり果てぬ

男児とも女児とも見えてチューリップ

てふてふの耳うち聞こゆ白昼夢

春昼の螺子が一本抜けてゐる

春昼の窓より覗く己(し)が不在

春夕焼うしろの正面だあれ

フラミンゴシンメトリーに水は春

春愁のひと科ひと属ひとでなし

春愁の鏡を一つ外しけり

墓地ぬけて生きかはりたる胡蝶とも

虻が来るおのが羽音のうしろより

この路の風が好きなり青柳

手話人の手の美しく風光る

珈琲に溶けゆくミルク鳥雲に

首筋より人は老けゆく鳥雲に

春ならひ男にタバコせがまるる

春昼へ投げ出だしたる五体かな

亡母の字ののこる苗札墓標なる

春愁の一つにπ(パイ)といふことも

綺麗な魚食べて春愁なしとせず

囀るやヴェートーヴェンのデスマスク

揚雲雀いにしへのまま空蒼し

鶯や一汁一菜にて足らふ

桃の花淋しき女すぐ太り

桃咲いてぬばたまの夜を怖れざる

花種蒔く現し世厭ふこころとも

亡き猫のこゑしたるよな春の闇

廃校となりし母校やつばくらめ

亡き家族(うから)瞑ればつどふ春燈下

目つむればかの日の団居(まどい)春ともし

かげろふになりおほすこと死といふは

壬生菜好き新撰組は嫌ひどす

狂言の舞台も駆けて猫の恋

目玉焼の黄身の氾濫春暑き

霾るや街に葬りも寿ぎも

突堤に乾(から)びたる魚涅槃西風(ねはんにし)

荒東風の雲の影追ふ雲の影

美しく人は目瞑り水温む

かぐはしく伏見の水の温みけり

濁りより現(あ)れて初鮒美しき

貝喰めば障子の外の川朧

天井に龍の眼のある朧かな

のどけしや内緒ないしよと幼などち

花辛夷汚れちまつて少年期

銭金の話のほとり蝿生る

春寒の疵に泡吹くオキシフル

青き踏む賢き犬に曳かれつつ

鳥引くや動かざるもの捨錨

言ひさして言はざりしこと鳥雲に

春水のたえず揺らめく金閣寺

恋猫は鳴くべし穴は覗くべし

言霊の駆け抜けてゆく桜かな

レガッタの早や黒ずめる漢(おとこ)かな

孤独なり己がレタスを齧る音

ケチャップがとろりと垂れて夕永し

母子草母逝きてより目につきぬ

大原女のつり銭も濡れ春しぐれ

長湯してふやけしおよび朧なり

パルテノン神殿さして蟻の列

ものの芽や少年はいま反抗期

亡きひとは映さぬ鏡春の塵

ちちははの永遠の留守春の昼

蛇出でて知りぬやさしき老婆の死

蜥蜴出づ八千体の無縁仏

裸婦像の額に微熱や初桜

春暁や波しづけくも力あり

ネオン街ぬけて朧にうどん食ふ

巣鴉に睥睨されてをる街か

岬とふ言葉うつくし岩燕

ひとすぢに翔びて雉(きぎす)は撃たれけり

いろいろな名をつけられて捨仔猫

弱きもの群るるや蝌蚪も人間も

存ふることの哀しみ亀鳴けり

目刺焼きをれば頻りに人恋し

旧かなの名札つけたる苗木売

蜷になる夢を見たりし徒労の日

花種を蒔きて濁世を近づけず

中京の外れに糸瓜蒔いてをり

青麦やフラスコの水滾り初む

人知れず天狗の山も木の芽時

よく見れば水進みをる遅日かな

春愁の電気をとほすプラスチック

春愁の三面の貌たゝみけり

生きて死ぬそれだけのこと山笑ふ

透きとほる五十二階にさより食ぶ

東京に半死半生の蝶拾ふ

風光るトライアングル鳴る度に

ピッコロの音(ね)フリュートの音春の風

春昼の振り子時計の振り子音

誰も知らぬピエロの素顔春愁ひ

花時に逝きたる猫の果報かな

翳る太陽渦潮は坩堝なし

蛇穴を出て天水を授かりぬ

西方へ仔猫探しに行つたきり

恋の猫猫撫で声を忘れをり

おのが名も忘じてをりぬ浮れ猫

蝌蚪の国すでに淘汰の始まれる

刻一刻われも老けゆく春の虹

薔薇の芽のさすがに棘のあはひかな

春愁のそれでもまはる地球なり

春愁ふ阿修羅はかたく唇を噛み

そこばくの花を散らして逝きにけり

花見つつ花に見らるる心地かな

有頂天よりひとひらの落花かな

寄居虫(ごうな)てふ寂しきものを鬻ぎゐる

やどかりもやどかり売りもさびしいぞ

山桜凛と活断層の上

花咲いて言葉やさしくしてゐたり

花咲いて夜半さへ睡り醒めやすし

夕景の夜景となりし桜かな

くらがりに貝が舌出す花の昼

艶めける魚のくちびる桜どき

久闊を叙する桜となりにけり

花の下おのれ死ぬる日想像す

乗り足らぬふらここのあり母の里

ふらここを漕ぐ間も女(め)の子老けゆくか

仮の世に仮寝してをり蝶の昼

むかしへと行けさうな径かげろへり

ちちははの死も光陰もかげろへり

行きゆきて地の涯に見む海市かな

ひとりふたり黄泉よりかへる胡蝶かな

身のうちの囀りのまま愛すべし

人体も結局は水花の冷

いくたびも故人に出逢ふ夜の桜

桜見てきて暗室に籠りゐる

ふりむけばすべてまぼろし花の道

根の国へつながる桜夜も白し

生き死にの際あひまひに花曇る

花曇り一生(ひとよ)の午後の何時なる

死神のひそむ騙し絵花万朶

永遠とは無数の刹那花けぶる

紙ヒコーキ水面(みのも)に浮む桜東風

朴の木の芽吹き際立つ父の死後

我が生の最初の記憶春の泥

春泥に少年汚る栄のごと

人の訃をふはりと胡蝶よぎりけり

竹秋へ現し世の角まがりけり

一生かけて親探しゐる胡蝶とも

囀りに聴きゐる如き死顔かな

水温む身に数多なる蝶番(ちょうつがい)

ぽつねんと身の九穴の朧なる

春蚊よりかそけき亡母のこゑ聞けり

花の雲亡父は唄ひて亡母は舞ふ

今は亡き家族(うから)もつどふ花篝

花の中花中りてふことのあり

花人も死人もさはに行き交へる

手招きをする手たれの手花の闇

灯しても家なほ暗き花疲れ

校庭に桜校舎に闇つどふ

白れんや生とは染みの殖ゆること

深々と吸ひて身ぬちも朧なる

死が近き人てふてふに慕はるる

春風はすぐ挫折する風と思(も)ふ

鳥交り鳥も哀しみ知るならむ

ほろろほろろ雉(きぎす)と心おなじうす

散る力ありて花散るひたぶるに

一身を桜吹雪に濡らしけり

簪(かんざし)を拾ふ祇園の花の闇

醒めながら昼さへ夢む花の山

桜冷え水漬きたる貝犇と閉ぢ

春深くわざと逸るゝ二人かな

色褪することなし蝶に老いあらじ

摘まみたる蝶妙齢の匂ひせり

亡父となり亡母となり石かぎろへり

底ひなき春睡へ墜つ一羽毛

春陰や半旗はためくこともなく

花貝に雲母波またきらら波

地球儀の北極海の春の塵

何もなき地なり陽炎消えぬれば

春陰のまなぶた重き一日なり

桜冷をみなは素顔晒さざる

花散りて死にたき人は存ふる

糸の如き雨降り出でぬ花篝

父の忌の近づく木々の芽吹きかな

亡き母の櫛出できたる朧かな

蝌蚪の紐より始まりし宇宙かな

前の世も蝶後の世も蝶ならむ

女っ気なくてそこここ春の塵

広辞苑六法全書春の塵

駘蕩や雲に近づく雲ながめ

遅日なる港の舶の腹の傷

永日の一つの机一つの書

使はねば忘るゝ言葉黄砂降る

タクシーを拾ふ女人や花しぐれ

花咲いて夜風しきりに火のにほひ

花明りかたちなきもの過りけり

実朝の海をさす飛花かぎりなし


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