2月

冬蝿の死を冬蝿の喜べり

咳ける医(くすし)に出遇ふ日曜日

寒茜救急車去る音消して

短命の無念の色か寒茜

注射器に吸はれゆく血を見て寒き

寒菊や心に秘むる忌日あり

春近しさあれどけふの黙り癖

歳月や父母の遺愛の梅早き

まなうらに浮むおもかげ天に鶴

節分の豆うちあたる山河かな

やらはれし鬼分かずなる人の中

編みさしのショールのこして逝きしひと

夭折といふ夢ありし木の葉髪

急逝なりし煮凝りの残りゐて

中年どち実(げ)に着膨るゝ逢瀬なる

寒紅を濃く刷きて来し別れかな

コートの背残像となる別れかな

舫(もや)はれて舟は憩ふや旧正月

奥嵯峨の狐の美貌輪廻とも

冬木の芽見つめて輪廻思ひけり

荼毘のあと風花舞へる空となり

風花となり転生を夢むらむ

目貼して「泥棒日記」など読まむ(「泥棒日記」ジャン・ジュネ)

興ずるや死が上りなる双六に

「たんきり飴」一つふゝみて冬の果

風音に耳敏くゐて二月なる

鋭心のゆるみて春の星となり

寒明けの崖を零るゝさざれ石

立春の鳩の啄むよべの豆

だし巻の黄の麗しく春立ちぬ

楽待てるしづけさに春立ちにけり

立春大吉明眸と吾が眸合ふ

寒明けの裸電球切れてをり

ふかぶかと吸ひて吐きたる寒の明け

余寒なほ電気剃刀充電中

一灯の明滅永き余寒かな

冴返る地べたに光るアルミ貨に

冴返る高層街衢(がいく)皓々と

あをあをと冴返る空ありにけり

春しぐれ頬を濡らせり泪ほど

きらきらと陽より零れて春しぐれ

下京を濡らしきれずに春しぐれ

三条に大橋小橋春しぐれ

春しぐれ八ツ橋を焼く香りせり

夜に入りて華やぐ小路雪淡し

淡雪のつとなぐれゆく水の上

触れたくて触れ得ぬままに牡丹雪

青年の濡れて華やぐ春の雪

春塵の中に東京ありにけり

竹と竹搏ち合ふ風の二月かな

素裸のマネキン人形風光る

風光るシースルーのビルヂング

篁(たかむら)を鳴らしては風光りけり

春光の中に海神(わたつみ)ありにけり

独りごちて己(し)が身ほとりの余寒かな

湯上りのかほを向けたる春満月

春風や猫の白髭過敏なる

春風の長蛇の列の中にかな

春風を歩き過ぎたる足裏(あうら)かな

春愁の合せ鏡の無限かな

春めくや二羽の鸚哥(いんこ)の饒舌に

春の川ころころと水まろびくる

東京に春一番の吹く空虚

春一番二番三番大空虚

浅春をほゝゑみながら逝きにけり

淡雪を亡母の椅子より見てゐたり

父も母も急逝なりし春疾風

遠雪崩めく母の死も父の死も

いつしかに人の死とほし鳥雲に

春の土きのふ潤みてけふ乾び

ぬばたまの春の闇なし樹々匂ふ

あたゝかや眼鏡汚して人の中

逃水と知りつつ追へる一世なり

思ふゆゑ在り思はねば朧かな

愚図愚図と七曜経たる春の風邪

一縷なれど確かな流れ春早し

浅春の燻ぶり永き焚火かな

ふらここに腰かけて知る星空よ

ふらここに腰かけて思(も)ふむかしかな

風船の濁世を逃げてゆきにけり

風車俄かにまはり掻き曇る

風車しづかに風に倦まれけり

春睡のま白き迷路ありにけり

春睡の大きな繭の中にかな

春睡へ羽毛のやうに落ちてゆく

しやぼん玉きりなく吹きて一人っ子

風船を空へかへして癒えにけり

思ひきり降つてをるなり春の雨

春雨のあめつち弛びきりにけり

春河の濁れる嵩もなつかしき

春の海懈怠の中に昏れ始む

春の潮引きし漠(ひろ)さに一人佇ち

遺されし春夕焼の影法師

サイレンの過りて遠む朝寝かな

独り居のかにかく寧き朝寝かな

春の夢覚めて孤りにまぎれなく

春はあけぼの香り濃きカプチーノ

春の山村の男が帰り来る

山笑ふ大きな淀のありにけり

篁(たかむら)の昼なほ暗き春氷

春の土雀は跳ねて歩かざる

奥嵯峨の古刹をつなぐ春の泥

春水の濁り濁れる豊かさよ

春水を巡りめぐりて暮るゝまで

春の水石を抛れば撥ねにけり

一見(いちげん)は入れぬ見世なり春火鉢

春燈のともりて暗し先斗町

逃水や行くほかなくて行きゆきぬ

残雪と云へど一山なしにけり

チャップリンの靴しがらみに水温む

諸子ちふかはゆき魚(いお)を炙りけり

いかなごは鷲掴みさるをみなにも

滾つ瀬に小さき虹生(あ)れ上り鮎

白魚の犇めく命みな透きぬ

白魚の命もろとも啜り食ぶ

白魚の命いくつも食うべけり

白魚の色を添へたる水の色

お日様を必ず画く子花菜風

鉄棒は嫌ひのままに卒業す

春眠の三連休となり果てぬ

耕して九時きつかりに寝るをとこ

生きてゆく春の埃が目に入る

恋の猫町家の屋根を知り尽くし

蝌蚪に手が出てもう魚にはなれぬ

ひそひそとひそひそひそと春の闇

ちちははの死の遠めける霞かな

名は知らね三十六峰かすみけり

春の海とふ揺籃のゆれ激し

春草や鉄柵の錆極まれる

春夕焼手負ひの鹿も明日を待つ

うらうらとなるやうにしかならぬなり

春の汗はたとひきゆく訣れかな

春空や君生き急ぐこと勿れ

ながながと昼よりの酒春の雨

春しぐれ光悦垣を禽たゝし

急ぐもの水ばかりなり春の暮

清水ゆ祇園へ歩む春の宵

春の夜やをどる姿の京人形

人形のまなざし艶に春の夜

蜷の道己(おの)が来し方徒労とも

蝿の子の早も世に狎れ人に狎れ

蝿の子の既に濁世を知つてをり

蝌蚪のまま生きたき蝌蚪もをるならん

蝌蚪群れて散りゆく明日をまだ知らず

一ところ犬の執する春の土

雨脚のほそくしづけく水草生ふ

春めくや孔雀のまへの人だかり

うぐひすや夢の出口のあたりにて

美しく磯巾着の飢ゑにけり

喪の花と知る筈もなき胡蝶かな

蝶の昼あくびを人に見られけり

蝶の昼ふはりと眠くなつてをり

音符めく黒蝶の翅フォルテシモ

をち方にして初蝶のまぎれなし

風船をそつと逃がしてやりにけり

風船をミッキーマウスより貰ふ

そのベンチ座ると蜂の来るベンチ

白雲に見られて青き踏みにけり

春しぐれ姉三六角濡らしけり

竹秋の野々宮といふ停留所

春風やたまさかに買ふ時刻表

冴返る街路しきりに電子音

消ゆるまで機影見てゐし春ショール

春星やしとどに草生濡れてをり

あらたなる蛇行となりて雪消水

はたと孤りなりはたと囀り止み

うららかや生老病死なき如く

春愁の駱駝に瘤のあるかぎり

春昼の大きな空洞(うろ)に在る如し

人形のつむり空洞春愁ひ

植木鉢倒してゆきぬ恋の猫

きりとり線鋏が逸れて雪解川

風光る少年少女散らばつて

お目当ての象がゐなくて寒戻る

古草や追ひ抜かされて歩きをり

釣り上げし山女をぬらす春時雨

ねもごろに墨摺りおろす春の夜

ゆくりなく生ま水甘き朧かな

猫の目の半開きなる朧かな

木屋町に抜け路地いくつ朧なる

春の夜の明朝体のうつくしき


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