9月

潜水の人透きとほる九月かな

秋天の見渡す限りよそよそし

秋の浜誰もゐぬこと知りて来し

立ち泳ぐワインのボトル秋の海

秋の水雲の変化(へんげ)を蔵しけり

月が出てちょいと遊びに行くところ

つくづくと月見ておもふ昭和かな

玻璃越しに一人をおもふ銀河かな

定刻にけふも飯食ふ震災忌

震災忌蟻は静かにいそしめる

一雨のけはひに揺るゝ夏のれん

夏のれん降つてきさうと女将云ふ

匙一つ皿一枚の夜食かな

夜食の後また黙(もだ)し合ひ入力す

夜業人ときをり窓の闇見やる

同窓の話尽きざる秋ともし

秋灯の火虫一つを宥しおく

数多なる命奪ひし水澄めり

いわし雲胸に溢るゝ何々ぞ

死ぬならばかく澄む秋ぞよからまし

天高く深海底にゐる如し

とりあへず湯を沸かしゐて涼新た

水澄みて富士を拝(おろが)みゐたるかな

水澄みていのち細かくうごきけり

澄みきつて死を誘へる水なれや

蜩に冷されてゐる長廊下

蜩の奥ひぐらしの鳴いてをり

鳴きついで鳴きほそるなり法師蝉

街騒(まちざい)のとぎるゝ間あり秋の蝉

わが傍に蜻蛉親しき母の郷

母亡きに母在るごとし赤蜻蛉

蜻蛉(とんぼう)の影濃く空気乾きをり

村廃れても蜻蛉に蜻蛉とまるかな

秋の星瞬けばなほ君を恋ふ

青北風や怒濤そびらに何鬻(ひさ)ぐ

ひさかたの天高うしてなど虚し

雑沓にシャネルの匂ふ秋の雨

言の葉を撰(え)りて語りし秋の夜

ぎす鳴いてこの一村に事もなし

登高を思ひ立つたる日和かな

彷徨ひて温め酒を欲るこころ

絶え間なく霧のなか霧うごきけり

雨蕭々(しょうしょう)風蕭々と凶年なり

凶年を風吹き抜けてゆくばかり

凶作を綺麗な蝶の舞ふことよ

美貌にも大き口あり西瓜食ぶ

いつまでも浪花の暑き西鶴忌(陰暦八月十日)

淀川の濁り親しき西鶴忌

東京のさゝやかながら帰燕かな

逢引やつむりに露の落ちもして

治水とは蜻蛉亡ぼすことならず

爽やかにこの世を通り過ぎしひと

秋の浜あさなゆふなにたもとほる

かかづらふことばかりなり月を見る

月を見てこの世に倦みてをりにけり

秋晴れて引返すには来過ぎたる

卒塔婆の朽ちて騒立つ秋の晴

初嵐供華に胡蝶のしがみつき

つれづれに佇てばふゆるよ赤蜻蛉

百舌の朝トースト少し焦したる

袈裟斬に鵙に啼かれて勤めゆく

けふよりもあした食ふべきラ・フランス

ちちははに供へし梨を独り喰む

白桃を啜りて後は寝るばかり

檸檬の香かの人のゆび思ほゆる

レモン齧り燦々として孤独なり

満面のレモンの喜色搾りたる

萩月を病気元気のあはひなる

辻子(ずし)といふ京(みやこ)の小道秋すだれ

爽やかや「寂」と一と文字刻ませて(法然院・谷崎潤一郎墓)

西行を去来を偲ぶ虫音かな(弘源寺墓苑)

瞑りてまなぶたに聴く月齢子(=鈴虫)

遺されし調度多しよつづれさせ

家ぬちにちちろ鳴かせて独りなり

こほろぎや防空壕と云ふところ

総身を虫音に濡らし帰り来し

虫の音に窓も扉も開けておく

虫の夜のしみじみ吾と影法師

秋愁の深々と吸ひ吐きてあり

秋愁の眼鏡拭へばいよゝ冴ゆ

鳴き砂を鳴かせて歩々の秋思かな

コスモスは揺れてまぎるゝコスモスに

秋草の晴れては曇るこころかな

おのが身をまろばして知る草の花

草の花明日があれば明日摘む

現し世を少し外れて芒野に

一人消え二人消えして芒ふゆ

すすきよりかろくなりたきときのあり

芒野にししむら重く吹かれをり

穂芒の日の暮れのこる揺れのこる

すすきよりすすきの風を手折りたく

淡海にたまゆら映ゆる秋の虹

秋虹や時々刻々の人の老い

耳さとく眼するどく水は秋

はたはたの静止飛躍の刹那かな

人生は永き錯覚蚯蚓鳴く

あだし野は化野なれば蚯蚓鳴く

蚯蚓鳴く賽の河原の常闇(とこやみ)に

蓑虫や光陰をまた空費して

蓑虫のほか碧空のがらんどう

蓑虫のぶらさがりつつ流離へる

蓑虫の蓑の中なる流転かな

水は秋美しきものすぐ毀れ

秋日透く静脈の色かなしけれ

堰の音いつも聞こゆる稲穂かな

稲光ふところ深き闇のあり

金閣の釣瓶落しに立ちのぼる

ちちははの死を思(も)ふ釣瓶落しかな

けふもまた釣瓶落しの逢瀬かな

秋晴のどこへも行けて別れけり

秋の日に背な温めつつ老いてゆく

そぞろ行ききしめん食うぶ良夜かな

きしめんを食べに出づるや鴟尾(しび)に月

月光のダム月光の一縷吐く

月見たしとぞたましひの云ふ夜かな

宵闇や祇園界隈去にがてに

亡き母の揺り椅子にあり星月夜

更待の書くことのなき日記かな

仲秋や夜の白雲のたゝずまひ

テレビなどにほろほろ泣けて秋の夜は

ふた親と早や訣れける夜寒かな

父も逝き身に沁む夜の風の音

稲妻の山たゝなはる丹波かな

落鮎やたばしる水は変らねど

蜻蛉の失すればこの世はたと昏れ

只ならぬ虫音となりし念仏寺

新涼の姿正して歩みけり

独り泳ぐ身は濡(そぼ)ちつつ心渇き

見えてゐて遠き一人や秋の浜

宵闇をさすらふ腕相搦(から)み

君を恋ふとほくかそけき秋の蝉

厠より銀河見てゐる背筋かな

みづうみのかばかり澄みて恐ろしき

薀蓄を聞かされてゐる新酒かな

遺されし猫を愛しぶ夜寒かな

斜に構へ聞き過すべき鵙高音

かたはらに昼の虫鳴く無聊かな

冷やかに父の時計が腕にある

冷やかに眼鏡の似合ふ美貌かな

灯を消せば俄かに虫音たかぶれる

渡り鳥母郷近づく思ひせり

神妙に猫のはんべる夜半の秋

水澄みて賢き魚(いお)は逃散す

びいどろの魚と真向ふ秋の昼

銀漢やプラットホームは岬なる

そゝくさと託言(かごと)がましき夜食かな

夜業してきのふのけふの託言かな

霧に別る幽けくも背なまだ見えて

葬り路のはたと展けて曼珠沙華

蝗無数捕らるゝことを憚らず

秋天や草生に寝ねて死すも良き

花の名をすぐに忘れて大花野

秋思濃し夜の受話器を置きしより

秋思あり一つ遠くに灯るより

乾坤の乾のものなり露消ゆる

言の葉を撰(え)りて語らふ露の夜

露の世に腰据ゑてもの考へよ

露の世に寝返りてまた熟睡(うまい)せる

色鳥にしばらくこの世愉しけれ

恙なくけふも暮れさう草の花

憂き世なりされどもそこに草の花

父の眼鏡この世にのこりつつ澄めり

家ぬちのちちろの孤独吾(あ)の孤独

ゆふづつの耀りにはじまる虫しぐれ

鉦叩とぎれても時過ぎゆける

虫しぐれ静かに火星燃えてをり

こほろぎやしろがねの夜雨降り止まず

鈴虫を鳴かせてけふももの言はず

鈴虫や澱みなく水流れをり

秋風や骸(むくろ)の軽さ死のかろさ

昇華とふ言の葉哀し秋の星

レモンの香孤独の室に湛ふべし

秋晴れて別れしひとのゐさうな駅

法師蝉絶えだえ息む子規忌かな(九月十九日正岡子規忌日)

やゝ痩せて優しくなつて秋の蝶

おとなしくテレビ見てをる温め酒

懸崖(きりぎし)のぎすの辺りに逃避して

ぎす鳴くよ風上にその風上に

きりぎりすたまさかバスの過るのみ

鄙ぶるや風の中なるきりぎりす

恋ひ侘ぶる無明ちちろの鳴いてをり

終りしよ呼べども応(いら)へなき夜霧

三秋のわれに取り憑く漫ろ神

鳴ればなほ秋の風鈴淋しけれ

寂しさや夜食して皆賑ふも

生憎(あいにく)の雨月に逢ひて愛深まる

月下ふと白珠の身を出湯に見し

流星や生き物はもう飼ふまじと

林檎買ふ母おもほゆる香りして

秋水の底ひを見せて何もなし

昃(ひかげ)れば峡(かい)の秋水音変ふる

桐一葉修羅のはじまる兆しとも

爽やかにいま在り何も考へず

かろき嘘つきたることも爽気ゆゑ

身のそよぎ心のそよぐ爽気かな

秋の雲こころ戦ぎてやまぬなり

我よりも少年詳し秋の星

案山子翁瞠れるままに睡るかな

知るほどにをかしきをんな酔芙蓉

逢へばまた離(か)れねばならず白芙蓉

白粉花ふと仮初のひとのこと

鈴虫飼ふたゞたゞ安睡(やすい)せんがため


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