6月

六月の晴るれば蝶の高かりき

六月の太陽高く嬰育つ

日もすがら六月の雨太々(ふてぶて)し

明易き夢の切れはし根なし雲

短夜やとりわけ汝とふたりゐて

涼しさの断髪式の鋏かな

涼しさや眼路の果てなる湖北の灯

涼しさや遠き灯ひとつひとつ消え

父も逝き家淋しくて涼しけり

砂時計砂落ちつげるすゞしさよ

人中に眼鏡汚るる暑さかな

東京に電車近づく暑さかな

大津絵の墨の黒きも暑さかな

六月の子供の遊ぶ潦(にわたずみ)

飼ふつもりなくても金魚掬ひをり

静かなる死や風鈴のひとつ鳴り

時計せぬ腕を垂れて籐寝椅子

時の日の咲き極まれる花時計

端居してはまどろみてゐし晩年よ

月更けて風向き変る蚊遣(かやり)かな

つれづれに蚊遣燻べる独りかな

つれづれにゐてつれづれの蚊遣かな

片蔭をゆくどこからか黒人悲歌

片蔭に静かに停まる霊柩車

あぢさゐや微笑に隠す不幸せ

がつくりと老けたる思ひ昼寝覚

太宰忌の灯を取りに来し虫双つ

蛍火の風にすぐ失せ桜桃忌

あさぼらけ蛍小さく死にゐたり

老人の浅き睡りに朝焼る

朝焼る非情の街を勤めゆく

夕焼けをりアフリカ象も蟻んこも

夕焼けて甲子園いま坩堝(るつぼ)なる

無数なる都人のあたま夕焼る

人間に大差なし皆夕焼けたり

夕焼小焼をさな児の葬りらし

人生の誤算の如く夏の風邪

冷奴貴船の水のうつくしく

梔子の黄喰み初めたる忌明かな

紫陽花の藍極まりし忌明かな

紫陽花やきのふのことも遙かにて

あぢさゐを見てをり昨夜(よべ)の夢忘れ

手のとゞきさうな白雲お花畑

水筒に小さき磁石や夏野行

青蜥蜴出でては光る日和かな

蜘蛛出でて非情の貌を晒しけり

殺さざりしんじつ孤独なる蜘蛛を

沖の帆の彩とりどりやビール酌む

冷酒に酔ひ亡き父に似て来たる

冷酒のあとから利いて淋しけり

花茣蓙にありては煙草喫ふばかり

父逝きて抱籠もまたよるべなき

抱かざれば月に冷えゐる竹夫人

竹夫人月影ほのと纏ひをり

遺されしものの一つや竹夫人

木下闇密かに蝶の生れけり

緑蔭やいつものベンチいつもの人

緑蔭に二人静かにものを言ふ

緑蔭に濡るゝが如く座しゐたり

五十なり青葉若葉を眩しみつ

万緑の謳歌の如き葉騒(はざい)かな

万緑をぬけ万緑をふりさけみる

万緑のなか不意に鬼気迫りくる

毛虫焼く美しき火を汚しつつ

反古燃して毛虫焼く火を継ぎにけり

毛虫見るその貪欲を羨(とも)しみつ

毛虫焼く昭和を遠く思ひつつ

毛虫焼く憎しめるもの他にあれど

毛虫踏み潰す世過ぎの靴汚し

穀象の米しか知らず米の中

斑猫にしたがふ如くひとり旅

玉虫へ少年の網もう少し

ひとりむし貧しき灯にも恍惚と

船の灯に火虫も島を離れゆく

しんしんと火蛾宥しおく一人の灯

生ききりしものの静けさ羽蟻の屍

羽蟻翔つ火星接近せる夜を

易々と天城越えゆく蟻を見し

木の根道蟻は決して躓(つまづ)かぬ

山蟻の何より山を悉る歩み

梅雨入や小暗き階(きだ)の地下酒場

梅雨に入る猫の大きな欠伸より

老人とテレビと猫と梅雨に入る

いつ見ても猫の睡れる女梅雨

梅雨冷やジャスミンティーの香り濃く

梅雨冷や嵯峨に湯豆腐食うぶるも

無精ひげ日に異(け)に伸びて梅雨深し

蟻を怖る一つ一つは無力なるも

蟻の列葬列のごと静かなり

一陣の風のうしろの夕立かな

三十六峰降りかくしたる白雨かな

山蝶の畳にとまる夕立かな

夕立あと洗はれし月昇り来る

真夜の雷をんなの寝顔やすらけく

虹薄くベッドのをんな欠伸せり

音信の絶えて久しや虹を見る

我になほ驚くこころ虹懸る

朝の虹淋しき者はひとりごつ

虹懸りをり会へぬ人多くなり

寝返りし身の重たさよ五月闇

五月闇その一隅に灯しけり

上賀茂の川音(かわと)ゆたけき五月闇

蝉丸の逢坂山の五月闇

理科室に嗤ふ骸骨五月闇

梅雨晴間やにはに携帯電話鳴り

人も木も影とりもどす梅雨晴間

夏山の包容力の只中なり

夏嶺見る直立不動なるこころ

近づいてみて雪渓の汚れをり

花束の揉まるゝが見ゆ夏の濤

ハンカチを握りて若き喪主なりし

白靴を恥ぢて去来の墓前かな

白日傘貌暗うして逢ひに来し

サングラス別人のごと多弁なる

サングラス既に匿せぬ齢なる

サングラスかけて男が泣いてゐる

ちゃっかりと猫の眠れる籐寝椅子

箱庭に永久の釣人一人置く

水鉄砲亀の小首を狙ひをり

打水に灯りて暗き先斗町

半分は居眠れるひと冷房車

訝(いぶか)しむ汝が香水を変へしこと

首振れど父母は亡し扇風機

一雨の来さうな風や夏暖簾

商店街夏枯れの眼に見られゆく

シャワー浴び大方のこと忘れしが

けふもまた過去になりゆくシャワーかな

夏館の主(あるじ)の如き古時計

喪の酒に人饒舌や冷奴

叡山に灯のともりたるビールかな

東山暮れても青きビールかな

暮六つの祇園につどふビールかな

バルコンは岬よ船に手を振りて

不意に淋し噴水に暮色兆し

噴水の純白に咲く夜の園

止りたる噴水に寄る疲れし夜

噴水の水にも疲れありぬべし

背泳ぎの空より見えぬ孤独かな

水中りしつつ鋭く咽喉渇く

夏痩せていよいよ酒の旨きかな

汗若し徒労に帰すること怖れず

変らざる夕陽の街に帰省かな

飛ぶことを忘れて走るてんと虫

重さなく子供にわたすてんと虫

天牛(かみきりむし)ともしび暗うして舞へり

兜虫強きものまた屍臭強し

蚊に覚むやあさきゆめみしあさぼらけ

蚊の声すかはたれ刻の浅き夢

事無げにけふも昏れたる蟻地獄

通夜の灯につどふ火虫を宥しおく

羽蟻翔ぶうから寡なき喪の家に

蜻蛉生(あ)れすぐに光を纏ひけり

みなかみの水美しく蜻蛉生る

蝿とびくる世を捨つること難くして

世を厭ふこころ蝿打つこともまた

蝿逃げて愚かなる弧を描きけり

星涼し白きテーブル白き椅子

あばら骨晒してしばし月涼し

白きものまだ干されある夏の月

梅雨の月つむりに雫落しけり

わだつみのこゑ大南風(おおはえ)の中にかな

大阪はモツ焼いてゐる南風の中

街川の水嵩(みかさ)怖ろし五月雨(さつきあめ)

山城に山なき如し五月雨

金色(こんじき)の猫の眼二つ五月闇

黙しゐて我が胸底も五月闇

能面のゑみ怖ろしき五月闇

庭荒れてサルビアの咲くばかりなる

侮られつつ昼顔は殖ゆるかな

寝穢(いぎたな)くまた昼顔に咲かれけり

昼顔のはかなき色の白昼夢

存へて黴(かび)臭きこと云ふ人よ

父の書架黴の香も形見なりけり

塵払へどもマルクスの黴びてをり

もの思ふべし黴の中黴びぬため

冷房の病室に見し花の萎え

冷房車迅し山河を疎くして

香水の香のみ残りし小抽斗

郵便夫影濃く過る日向水(ひなたみず)

変りなき景にも飽かず端居かな

夕端居眼を遙かへとはろかへと

風鈴のよく鳴り一句賜りし

風鈴をそろりと吊す忌明かな

風鈴の音のほとりの静心(しずごころ)

淋しさよ真夜の風鈴聞きしより

きぬぎぬやうすむらさきに風涼し

夏の夜の更けかゝりては明けかゝり

椿事待つ濃き珈琲や夜半の夏

あかあかと火星接近せり夏夜

鉄の階(きだ)西日くるめく螺旋かな

衰ふる西日夕星(ゆふづつ)光り初め

竹落葉旅人のごと皆行き交ふ

薔薇活けて恋人を待つ昼下り

薔薇垣に近寄り難く寡婦棲まふ

きらきらと薔薇の香れる日照雨(そばえ)かな

百日紅遺りし一人逝きし日も

屍に香る百合狂ほしき訣れかな

藻は咲けり汝がおもかげを顕たしめて

たまさかに晴るれど淋し萍(うきくさ)は

萍に吹きて淋しき風となる


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