3月

三月のふと思ひ立つ遠出かな

三月の水は流れとなりにけり

如月の隣りのビルの玻璃光る

注射器にわが血出てゆき春寒き

白川にはぐれ鴨ゐる春しぐれ

春陰や薄墨で書く御仏前

春陰の濤の裏へと海月(くらげ)消ゆ

春陰のはためかず旗ゆれにけり

家出せし遙かなる日の春の風

春風に思ひ立つたる家出かな

春風に吾も遊子やかの雲も

春疾風生島治郎世を去りぬ

かの人と春の夢にも別れけり

叡山の見ゆる窓ある春炬燵

先斗町とあるお茶屋の春炬燵

清水の舞台ゆ望む春霞

トンネル出で京の朧に帰り来し

昼蛙濁世隔つること難し

乱世なり蛙鳴くべし囃すべし

鳥雲に形見の時計狂はざる

珈琲に溶けゆくミルク鳥雲に

牛蛙雨に打たれて喜べり

化野(あだしの)に石ばかり見て春寒し

風葬の地に蟻出でて無尽なる

梅見して名代の餅とお薄かな(北野・長五郎餅)

あたたかやみたらし茶屋の緋毛氈(ひもうせん)

桃咲いて箸が転んでも笑ふよ

迷ふことなかりし如き蜷(にな)の道

徒労とも思はるされど蜷の道

鶯や日本の朝餉つつましく

雲雀啼くところが天の真中かな

雲雀啼けど白日輪のあるばかり

囀るやたまさかに買ふ五色豆

大寺の屋根まで飛べて雀の子

かにかくに都好きなる残り鴨

残る鴨一之船入跡にかな(高瀬川・いちのふないりあと)

野遊びのたびに背丈の伸ぶる子よ

植木市東寺の塔の影踏みて

錦にて出し巻を買ひうららけし

吾に似てちりめんじやこの好きな猫

目刺焼く目刺のやうに哀しき日

ほの紅く透きて子持ちの蒸鰈(むしがれい)

蒸鰈げにうつくしく食うべらる

花種蒔く猫を葬りし墓の辺も

挿木して人生のどのあたりなる

「三月の花」

春紫苑(はるじおん)無縁となりし墓の辺に

デージーをいつぱい咲かせ不仕合せ

茅花野(つばなの)に少年の日の風吹けり

土筆伸びこの土手の風うすみどり

土筆伸ぶ疑ふことを知らぬ子に

一人静ひとりを思ひつづけゐる

たんぽぽに囲まれてゐる白昼夢

沈丁の香にころあひの距離ありし

一株の香こそ愉しめ沈丁花

八重よりも一重の清き白椿

紅椿魚板(ぎょばん)鳴るたび落ちにけり

白木蓮(はくれん)に思ひ出したるやうに雪

深く吸ふ白木蓮の夜気穢れなし

白木蓮を穢す如くに一燈あり

先生の涙を見たる卒業式

朝寝して夢のつづきの哀しかり

春眠の大きな枕裏返す

春雨の瀬戸内の島皆まろし

春の燈や女は眉をとゝのふる

春服を着て束縛をひとつ捨つ

廻転ドアに春風とともにかな

廻転ドア春一番を押して出づ

風光るエレベーターの人透きて

まなかひに黄喰む空ある春疾風

春風やたまさかに買ふ時刻表

東風吹かば出船間近き遣唐使

辛夷咲く傷つき易きあを空に

春筍円空仏と丈くらべ

クローバを本の栞に君若し

逢ひたくて木の芽の太るばかりなる

青踏めばよろしき未来ある如し

「春愁」七句

なだらかな道半ばなる春愁ひ

春愁の合せ鏡の背中かな

おだやかな船旅にして春愁ひ

電機店げに明るくて春愁ひ

春愁と云へど飯食ふ魚毟り

美しき魚(いお)焼くことも春愁ひ

あぎとへる鯉と目の合ふ春愁ひ

ボールより春泥蹴つてをりにけり

雪消して俄に愚痴の多くなる

残雪の渓に響かふ国訛り

若布刈る女の利鎌(とがま)光る見ゆ

春水の琵琶湖おほきくなりにけり

春潮の干潟残すは虚脱のごと

春潮の満つるも引くも飽かず見し

別るるや逢ふや霾(つちふ)るこの街に

霾天(ばいてん)になりはひの無き町しづか

逆しまに船のゆくなる蜃気楼

最果てに蜃気楼よりなかりけり

蜃気楼最果ての地に二人来て

釣銭の冷たかりしよ目刺買ひ

独り酌むひとりに薫る花菜漬

怖がりの蛇穴を出づ植物園

一の丘二の丘蛇の出揃ひぬ

機械音はたと停まりし蝶の昼

初蝶に手話人の手のひらひらす

一天のがらんどうなる涅槃西風(ねはんにし)

生くることはたと虚しき涅槃西風

広辞苑も父の形見よ鳥雲に

引く小鳥群れて一羽の巨き鳥

時じくの水の近江や鳥帰る

鳥帰る比叡の方も良く晴れて

母の死や父の死や鳥雲に入る

若芝のふたりぽつちのいつまでも

持ち倦みし紫雲英か小川流れゆく

むつごろう暫し虚空を見てをりし

吾になき愛嬌のありむつごろう

むつごろう瞬ける間に突かれけり

しかと見し一期一会の落椿

落椿あやふき恋をしてをりぬ

椿落つ秘密を守りきるために

また一つ海を見飽きて椿落つ

戦争の嘘のやうなる春空よ

戦争の始まりさうな桜時

いろいろな名で呼ばれをり捨仔猫

もののけは見ゆる筈なく春の闇

痛きほどこの世目映き涅槃雪

なりはひの不意に儚き涅槃西風

春の海見てゐて兆す哀しみか

春浜の一人に何もかも遠し

花種を蒔く虚しさの一隅に

球根を埋む明日を信じたく

朝刊を今頃読めば昼蛙

昼蛙聞き母の里なにもなし

宿に入り落ち着きたれば夕蛙

「百年の孤独」酌みゐて遠蛙

急流をあつめて急かず春の河

立呑に始まる春の夕べかな

春宵を白川沿ひにそゞろゆく

春宵の祇園新橋あたりかな

かにかくに川音(かわと)恋ほしき柳かな

夕風を枝垂柳とともにかな

この路は夜半に華やぐ柳かな

鴨川の風に吹かるる朧月

六道の辻に浮かみぬ朧月

「いもぼう」の灯り初めたる朧かな

朧夜や路地に舞妓とすれちがふ

モーツァルト鳴らしてひとり春の昼

洛中を歩き疲れて春の暮

清滝川いよよ滾ちて上り鮎

若鮎のいのち逸りて上りけり

罪深く飴煮の稚鮎いたゞきぬ

お多福のゑまふ暖簾やあたたかき

あたたかや少し喘ぎて茶わん坂

春暑き三年坂の人出かな

行列のできるらあめん長閑(のどけ)しや

麗かにイノダコーヒと書かれあり

寝ねがてに畫集をひらく夜半の春

東(ひむかし)のへびつかひ座も春の星

若草や遠き挫折のよみがへり

草萌ゆる哀しきことのありし日を

うち群れて鯉の静けき春の水

水温む厨の窓の半開き

鶯に聴耳立つる二度寝かな

この町の黄昏が好き初つばめ

栄螺(さざえ)焼く怒濤音へと真向ひて

初花に晴るれば冷ゆる朝ぼらけ

初桜をとこの目見(まみ)の美しき

鳥雲に入り蒼茫と亜細亜あり

天地(あめつち)に人一人なし捨仔猫

花時の深山に魚釣りてあり

春と書すわざわざ墨を飛び散らし

牛蛙咆えては雨を降らしけり

人工池の東京達磨蛙かな

地下街にパン焼くにほひ春の雷

春の夜の傘のふれ合ふ縁(えにし)かな

春愁のゆび地球儀をひと回し

海市(かいし)消え小銭を握りしめてをり

仮の世に触れて消えけり牡丹雪

凧揚ぐる来世の見ゆるまで高く

春の夜の大人のあそぶ遊園地

わらんべは既に少年鳥雲に

叡山を指す我がゆびも霞むかな

二人して親子丼うららかに

木の芽和愛されてゐし日々のあり

朧夜の鯉の口より泡(あぶく)かな

人形に眼力のある朧かな

京うらら甘味処に寺鐘聞き

春宵のいづこの鐘や東山

若人のいのち眩しき春の土

花辛夷こころは汚してはならず

永き日やチューインガムに口うごき

日永なる己れに倦みてをりにけり

ふらここに蹴られて痛む夕焼空

蝌蚪群れて既に何かを競ひをり

鳥雲に海を見て佇つ赤い靴

いくたびも胡蝶に出逢ふ葬の列

風船や海のあなたに君は住む

紙ヒコーキ不時着したる春の土

千羽鶴折りて老婦の春炬燵

わが身にも磁石の疼き鳥帰る

鳥雲に一幕ものの終るごと

家人皆まろび寝のとき桃の花

風光る女身のごとき砂丘越え

春寒を一気に登る男山

老人の目を潤まする桜かな

夜桜のいよいよ白く咲き誇る

大いなる揺り籠と思ふ春の海

六腑から生まるる春の愁ひとも

水鏡ゆるがして山笑ひをり

春風の身ぬちに波濤鳴りにけり

「桜」八句

よそゆきの貌になりたる桜かな

まなうらに桜の微熱残りし夜

日本の目見(まみ)うるはしき桜かな

逢ひしこと別れしことも桜かな

駆け抜けて言霊となる桜かな

谿川の滾ちはげしき桜かな

桜咲く夕青空となりにけり

もしかして散るを愉しむ桜かな

瞑らざる人形の眸も春愁ひ

まなかひの燕にはたと目覚めたる

満々と水に宙ありつばくらめ

つばくろや亡父の時計狂はざる

鯉跳ねて春の月影くづれけり

「竹の秋」四句

単線の小駅にひとり竹の秋

竹秋の真中をとほり嵯峨野線

乙訓(おとくに)の竹の秋風やはらかし

荘厳の入日となりし竹の秋


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