9月

飲食(おんじき)のつましき音に震災忌

飲食の魚ひとり裂く厄日かな

負傷者の役にて真顔震災忌

失意のごと秋の夕映すぐ昏らむ

九月なり杳き山脈飽かず見て

花野にて亡母に似るひと見失ふ

秋爽や五十男のハミングも

爽やかに誰もをらねば独り言つ

秋燈にちちははの亡き夜爪かな

秋水の玻璃器のかたちして澄めり

冷やかにもの見る両眼(まなこ)洗ひける

冷やかに生きてゆく貌洗ふかな

 

「月」七句

月の瀬に冷やされてあり西瓜など

月光が寝顔の老いを暴きゆく

月光に濡れゐる山気深く吸ふ

幻月を正視してまた老いてゆく

独酌の肴の月のひかりかな

弓なりに月を仰ぎて孤狼めく

名月に身体の箍(たが)をゆるめおく

 

秋風へ息とゝのへて棺を出す

秋天やこの虚無感はいづくより

死が見えてきて爽やかに人生くる

爽やかに笑みて告げざることのあり

呑みにゆくべし月白に誘(いざな)はれ

月白や先づは馴染みの立呑み屋

霧晴れて地図のとほりに径曲る

幼な日に来し国不意に霧になる

己(し)が足も己が立つことも霧の中

霧らふとも逢ひにゆく路たがへざる

もう逢へぬ予感夜霧となりにけり

朝露にふとよみがへる昨夜(きぞ)の夢

乾坤の間(あわい)に露も人も生(あ)れ

月盈ちて月欠けて萩こぼしけり

宵闇や女とをれば女の香

宵闇や酒を少しく温めゐて

雨月なる時計気にしてひとに逢ふ

猫の眼の光あつめて無月なる

十五夜を眠れぬ蝶とすれちがふ

高きに登り己が家を眺めをり

苔生して石の秋思のひたすらに

マネキンの青き瞳と合ふ秋思かな

水あれば雲のうつろふ秋思かな

食はれけり秋刀魚綺麗に気持ち良く

控ふべき酒に酔ひける秋の鯖

パソコンと一人真対ふ夜業なる

夜業してふと口遊む唄のあり

秋扇父の形見とひらきけり

存分に風吹き疲れ芒原

秋浜の一人に遠く一人ゐる

わが眼には引くばかりなり秋の潮

秋の江の底透きとほる目覚めかな

鵙の贄翼なきもの哀しけれ

冷やかや慣れてそつなき悔み言

縁薄き喪にゐて秋の汗しきり

秋の夜半蛇口よりふと一滴音

幾度もメール交はして夜の長き

人は皆生きて悔もつ長き夜

長き夜の猫に詮なきことを云ふ

黙(もだ)怖し独語哀しき夜長かな

爽やかに木屋町ゆくよ何食はむ

澄む如く腹空きてゐて秋高し

汝(なれ)に家路我にも家路秋の暮

乾(から)びつつ雨に濡れつつ鵙の贄

光陰のことなく過ぐる鵙の贄

絹雲の色なき風に白まさる

終着駅へ虫の音の高まさる

昼の虫ひとつひとりの吾に鳴く

客人(まれびと)に酒あたゝむる山家かな

過ぎゆきをふと思ふとき酒温む

人生の或る休日の温め酒

色鳥の瑠璃の抜羽を栞とす

色鳥の来て人生を愉しうす

爽やかに生きて金持ちにはなれず

ちちははの在りし暮らしや秋簾

石あれば石に坐りて秋うらら

東山数へて秋気澄みにけり

うろくづの敏く賢く水澄めり

秋蝶のなにやら急ぐ花背かな

ビル崩(く)えて天高かりしニューヨーク

虚しきまで秋高ければ争へり

巨き空虚(うろ)がある九月十一日

泡立草きらきら咲いて嫌はるる

背高泡立草といふ多勢に無勢かな

芒野にをみな子らいま銀狐

芒野に孤島の如く佇つてをり

芒原すんすんゆけばあの世かな

さゝ波も怒濤もありぬ芒原

夕芒金波銀波のさゝらかな

秋草にやさしい人のいつもゐる

名を成さず一家を成さず草の花

名は要らぬ千草の花でよろしけれ

蟷螂の落ちたる露に鎌を上ぐ

蟷螂の一指も触れさせざる怒り

胡桃割る男の意地をとほすごと

草の絮(わた)夢のつづきを見る如く

幽明の境を越ゆる穂絮かな

暗黒の陸(くが)の上ゆく穂絮かな

芒野をゆきて現し世遥(はろ)かなり

蓑虫とおんなじ風の中にゐる

蓑虫はみのむし戦さあらうとも

現し世へ糸いつぽんの鬼の子(=蓑虫)よ

糸切れて鬼の子の知る世間かな

鶏頭に夕陽(せきよう)のなほ炎えのこる

冷やかに後ろ姿を見られゐむ

身に入むや亡き父になほ葉書来て

三日月や般若の角の黄金色

凄まじく般若の面(おもて)懸かりをり

能面の笑み仄かなる十七夜

光陰のげに矢の如き帰燕かな

働ける人の見上ぐる帰燕かな

ふり向かず燕ひとすぢ去りゆけり

月光に心火の如し曼珠沙華

のけぞれば青空ばかり曼珠沙華

曼珠沙華咲くだけ咲いて過疎の里

曼珠沙華咲き乱れ人減りゆけり

死は唐突に曼珠沙華急に咲く

社員食堂秋刀魚を食ひてにぎにぎし

大盛の飯がよろしき秋刀魚かな

秋の海見てプラットホームに一人

ジーンズで来たりし御所の秋気かな

猫に餌をやりて己れも夜食せり

ウィンドウズ待たせておいて夜食かな

悪夢に醒めて虫の音に鎮めらる

ぎす鳴いてゆたかな草のうねりあり

見返りて蟷螂の首よく回る

風に怒り風に鎮まる蟷螂よ

何に怒れる蟷螂もわたくしも

桔梗が咲くよ男の純情に

正視して男心の桔梗かな

きぬぎぬに月の残れる酔芙蓉

あれこれと書を取り出だし夜長なる

パラグライダー天に咲きゐる花野かな

花野へとパラグライダー降りて来る

大花野寂しさ兆すまで遊ぶ

一人ゆくいづれ枯野になる花野

花野ゆくいつかひとりになるふたりで

川の名もかはり錆鮎となりにけり

鮎落つる母なる川の迅さにて

啄木鳥のトレモロなどて生き急ぐ

蝗(いなご)みな同じ貌して食はれけり

はたはたの羽音するなる白日輪

飛蝗(ばった)とび光となりて光に消ゆ

わが一歩飛蝗を遠くとばしむる

寂しさよきちきちが飛ぶきちきちと

もの忘れ良きこのごろを秋の風

うすうすと秋の虹あり人を恋ふ

思ひ今定まりしごと桐一葉

野分あと月清潔に生き返る

爽やかに生きて一人と猫二匹

爽やかに時を刻める形見かな

爽やかに逝きたまひしよ羨まし

死は易く生き難き世を蚯蚓(みみず)鳴く

螻蛄(けら)鳴くよ眠るほかなく眠る夜を

螻蛄鳴いてだんだん未来暗くなる

我ら生く蟷螂ほどの誇りもなく

蟷螂の怒れる若さうらやまし

中川ゆ小野へ街道冷えまさる

周山越え母亡き母の里冷ゆる

客人の帰りし後の夜長酒

裸婦像に日の当りつつうそ寒し

身に入むや猫撫で声の猫抱いて

花一匁(はないちもんめ)みちのくの空澄み極まる

もういいかい返事がなくて秋の暮

かくれんぼかくれしままの秋の暮

つるべ落し目隠しの鬼目を開く

かごめかごめうしろの正面秋夕焼

灯火親し少しく軋む椅子なれど

灯火親しむ古き机に古き椅子

秋燈消すかつてそこに団欒あり

美しと雲を見てゐてふと秋思

とゞまる雲去りゆく雲の秋思かな

精霊ばつたやさしくなりて逃がしやる

つかみたる飛蝗わが掌をしきり蹴る

流星消えこれ以上暗くはならず

星飛んで暗き言葉よ裏日本

漁船(いざりぶね)銀河の尾より帰り来る

秋刀魚匂ふ路地曲がつても曲がつても

ひつそりと来て秋蝶のすぐ去りぬ

在りし日の母の鼻唄とろろ汁

うそ寒へ踏めば自づと開く扉

自販機に嫌はるる札夜寒き

秋の暮他人ばかりとすれちがふ

耳塚に素嗄れ鳴きをり冷まじき

秋燈(あきともし)古き日記に父母います

秋の燈へ静かな影となりて座す

爽やかに負け越してゐる人生か

帰り来て撲たれたる鮭哀しけれ

鮭帰る人間よりも信ずべし

可笑しくて哀しき顔の案山子かな

レモン酸つぱすぎて嘘もつけざりし

レモンぎゅつと絞り別るるつもりらし

酒ぬくめつつ妥協するつもりなる

別れ際ほそくつめたきゆびなりし

秋蝶の影あはあはし后陵(きさきりょう)

酒蔵の甍の波や秋澄みぬ

新蕎麦や冷雨となりし東山

自販機のゴトリと釣瓶落しかな

胸底に落つる音して桐一葉

木犀の香に帰りゆく白き杖


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