8月

八月の東京にある静かかな

八月の蝉の骸(むくろ)が目につく日

百物語ふつと背(うし)ろが気になりぬ

火蛾群るる島を離るる朱き灯に

心火なほ鎮まり果てず火蛾狂ふ

或る毛虫毛虫の群に見失ふ

青空を残して毛虫焼き尽くす

一瞥もなく鬼やんま通り過ぐ

蜻蛉ゆく我には見えぬもの見えて

蜻蛉の眼敗れし国を一望す

ウィンドウズ快調にして朝涼し

虹を見て老女何やらひとり言つ

夕凪いで生活(たつき)の水の音聞こゆ

豆腐のみすいすい食うべ極暑なる

夜の秋の閑かに紅茶いたゞきぬ

躰のゆがみ整(ただ)されてゐる夜の秋

山の石海の石手に夏惜む

夏惜む鰻と穴子いづれ食はん

もう一度真蒸(まむ)しを食うべ夏惜む

水かけて水かけて灼けた墓冷ます

旱天をこの川も流れねばならず

白雨来よ心のひづみ癒すべく

蟻に熱湯かく我れ神の如し

定刻に沖を見て佇つ白日傘

長き長き墓への道を白日傘

本の虫たりし青春曝しけり

通夜の燈に狂ふ白蛾を宥しおく

一匹の蝿のからかふピエロかな

大阪や立呑みが良き冷し酒

立呑みの膝がガクンと冷酒かな

焼酎や迷路の如き裏町に

焼酎や京は裏寺通りかな

カクテルで始発まで夏惜しみけり

せはしなき扇となりし負け将棋

暑気払ひとて四合の大徳利

冷酒とて肴は京のお晩菜(ばんざい)

夏河へ小便小僧みな弓なり

裸なり海より生(あ)れし命なり

地球儀の日本赤し原爆忌

原爆忌戦争知らぬ眼を瞑る

原爆忌卵の黄味に血の一滴

原爆忌瞬けば蝶ふつと消ゆ

空きビルのほとり病葉吹き溜まる

痩せたりと人に云はれて秋立ちぬ

今朝秋の水に身ぬちの水更ふる

日に三度食前に飲む残暑かな

ビル街にビル風の吹く残暑かな

ネクタイで首締めてゐる残暑かな

怠(おこた)りて金魚を死なす残暑かな

大夏野行く徒渉(かちわた)る如く行く

無人島ゆび差すそこに夏怒濤

おやすみと云ひ兜虫あす死ぬる

少年に死を教へけり兜虫

我に還るプールに深く深く潜り

片蔭に入る人生ゆ降りるごと

己(し)が影に蹤きてゆくなる油照り

いづくかに閻魔の哄ふ旱空

鰐皮の財布にしまふ蛇の衣

怖れらることの淋しき蛇を見る

閃くよ蜥蜴の智慧は尾の先に

恐竜の化石など見て原爆忌

原爆忌ジグソーパズルすぐばらばら

けふのことあしたにまはす籐寝椅子

短パンの脛をピシャリと蚊を逃(の)がす

放蕩児帰りて寝まる夏座敷

一族も郎党も寄る夏座敷

粗供養といふハンカチをまた貰ふ

人の死を哭きし眼(まなこ)よサングラス

夏帽を脱ぎて拝(おろが)む磨崖仏

噴水の止りし水の疲れかな

噴水の触るるものなき虚空かな

一握の砂もちかへる夏の果

きのふよりけふの遥(はろ)けき秋の蝉

生ききりし蝉のなきがら終戦忌

一輪の菊の重たき終戦忌

大文字消えゆく真闇見とゞくる

歩いても歩かなくても残暑なる

陋巷に生くるほかなし秋の蝿

遣らずとも秋の蚊のすぐ逸れゆけり

一惨事おもひださせて星流る

星月夜小銭の光る泉あり

揚羽蝶逡巡もなく河越ゆる

ぬきやすくなりし指環や秋めきぬ

秋蝉の遠さよ君に逢ひたしよ

鹿撫でてをり青年の恋の黙(もだ)

キリンには聞こゆるらしき秋のこゑ

銀やんま空のまほらに交みをり

まほろばと思ふ秋津のひかりかな

勤めゆく歩調も合ひて涼新た

新涼や用もなけれど河原町

新涼の猫をふにゃりと抱いてやる

路地口に噂話の秋の風

秋風が女の噂ひるがへす

たちまちに流れ去りけり処暑の雲

蝉とほくなりしと思ふ処暑の風

ジーンズのごはごは乾く秋暑かな

かなかなに思ひ出づまた思ひ出づ

爽やかに乗り遅るれば歩きけり

父母亡くてがらんと二階秋晴るる

見るまへに跳べよと背なに初嵐

葬済みて皆ちりぢりに秋の風

色なき風魚焼くにほひして吹けり

爽籟(そうらい)の吹き抜けてゆく大往生

 

「星の秋」八句

逢へぬひと星流れても流れても

星流れ縁(えにし)の如く切れにけり

天の川さらさらと髪乾くかな

銀漢や厠の窓の羽虫の屍

眠られぬブルートレイン銀河ゆく

銀河見て電池切れせし時計かな

順々に死ぬが倖せ天の川

銀河見て人生といふ持ち時間

 

無頼派のゐずなりし世を野分せり

ざぶざぶと己(し)が躰を洗ふ野分あと

兎の耳色なき風を聴かむとす

鰯雲眼(まなこ)より人老けてゆく

独り居に旅愁の如く鰯雲

空いつぱい胸いつぱいの鰯雲

鰯雲あなたの町へさざ波す

秋の雲かの人のことまた想ふ

秋雨にいよいよ青き魚(いお)喰めり

西方に来よと誘(いざな)ふ稲光

バスの中老人ばかり秋の昼

秋めくやペーブメントに影さやと

影法師すでに秋めくネオンかな

考ふることの愉しく秋めきぬ

使はねば亡父のカメラ秋めきぬ

昼酒の癖になりたる秋霖(あきついり)

稲妻や高層都市といふ墓群

秋の星初めてのごと人恋ふも

かの人を想へばちちろ頻り鳴く

ゑまふとは美しかりし良夜かな

清滝へ隧道(すいどう)のある初秋かな

かなかなに卒然と昏る掛け鏡

かなかなに遠街(おんがい)の灯の点り初む

目瞑ればかなかなの鳴く望郷よ

せせらぎのごとかなかなを聴きてあり

水浴ぶるごと蜩(ひぐらし)に冷やさるる

秋刀魚焼く男やもめは真顔にて

林檎の皮ながーく剥きて孤独なり

梨齧る口幼くて未通女(おとめ)なる

母の背に負はれゐし日や赤とんぼ

鬼やんま影から先に過りけり

ちちろひとつ家ぬちに鳴く縁(えにし)かな

千の虫のその一つ鳴く三和土(たたき)かな

雁渡るしんかんとして二種空港

猫の眼のきらきらとして小鳥来る

孫の名で呼ばれて小鳥来てをりぬ

母の忌も巡り来て過ぎ秋の蝉

秋刀魚食ふ腹わた苦きこと褒めて

秋刀魚供養とて頭(ず)も骨も食うべけり

鵙の贄(もずのにえ)見て昨夜(きぞ)の夢忘れけり

鵙の贄乾(から)びてあの世にはあらず

虫すだく瞬きやまぬ星かヽげ

揺り椅子にうつらうつらと昼の虫

虫籠の虫も加はる虫しぐれ

大いなる闇燦然と虫時雨

陽を傾けつくつくばふし身を絞る

秋天やビルの屋とて下界にて

天高しいくばくもなき金数へ

秋天や水面に触れて跳ぬる石

秋川の尖(さき)しろじろと急ぎけり

秋の虹消えし虚空になほ探す

人恋へば早や遠のける秋の雲

かの人につながつてゆく鰯雲

たまゆらの白昼夢見る花木槿(はなむくげ)

父の死を思ひ出させて桐一葉

最期の火ともして秋の蛍かな

秋のこゑする皓き石拾ひけり

秋声や耳に似てゐる貝殻に

自堕落な暮らし桔梗(きちこう)咲かせつつ

てふてふに体重のある秋桜

縁側に父はもうゐず秋の風

秋声を聴くや白雲の変幻に

残る蚊の声しきりなり念仏寺

残る蚊に喰はるるも縁念仏寺

川よりも離宮に遊ぶ秋の蝶

秋のこゑ離宮いよいよ寂かなり

我に似てゐる蟷螂を怒らせる

竈馬むかしのままの闇に跳ね

朝風のひやひや暗き草雲雀

朝食にレモンの香り草雲雀

鈴虫や川といふ字に核家族

鈴虫の中に寝入りぬ大家族

ゆきずりのひと霧に逢ひ霧に消ゆ

来し方も行方も霧の二人なる

ちぎられて雲離れゆく秋の暮

夕まぐれ帰る案山子(かがし)とすれちがふ

荼毘の刻迫る蜩火の如し


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