5月

逝く春の雨に濡れけり猫の墓

夏そこに来てゐる猫の仏頂面

愛猫の永久の不在に五月来ぬ

倖せさうですね花は葉になりぬ

夏は来て父の忌日となりにけり

鼈(すっぽん)の生血いきなり出て立夏

半天の尚みづ色の夕薄暑

初夏の白きか細き腕(かいな)かな

夏めきて玻璃戸の向ふ人とほる

京町家奥に新樹のかがよへり

形見なれど我楽多を置く木下闇

老けたりと己(し)が貌思ふ若葉かな

緑蔭に喪服の人ら見えずなる

喪の人のハンカチつかふ薄暑光

風薫る心に決めて無為の日を

死ぬ人を嬉しがらせて風薫る

一の丘二の丘渡り風薫る

青嵐紙の葬花を苛(さいな)める

猫抱きて見遣る卯の花腐しかな

猫の毛のまつはる膝も薄暑なる

駅前の広場愉しき薄暑かな

草笛鳴らず幼な日と同じ風

草笛や昔も今もぶきっちょで

麦秋の只中にあり無人駅

田舎のバスに麦秋を見飽きたり

麦秋の麦と友達にはなれぬ

端居して堂々巡りする思ひ

端居して闇に過去(すぎゆき)よみがへる

いのちある如くに開き水中花

蜘蛛の囲のきらきら捕ふ昨夜(よべ)の雨

亡き父の部屋に棲む蜘蛛宥しおく

あてどあるべし蝸牛遅々とゆく

天道虫わが掌の上を逃げ惑ふ

百足虫(むかで)殺すに真剣になつてをり

人死んで一つ増えたる蟻地獄

明日ありと人も蟻地獄もおもふ

薔薇を買ふ私がわたし祝ふため

生業(なりわい)の片減りの靴西日踏む

西日あまねしA棟もB棟も

しあはせの裏にまはれば西日かな

父の忌も済みてゆつたり衣更ふ

父の忌も済みておちつく若葉かな

下闇の去来の墓に屈(かが)みこむ

滝落ちて我が眼も落つるきりもなし

たゞたゞに滝落ちゆける放下(ほうげ)かな

母の日の遺る一つの鯨尺

天井に羽根まはりゐる夏館

花嫁の父の佇む花氷

青林檎置きて描くべし静物画

卯の花腐し手遊びに素描せる

卯の花腐しひとり暮しのしづけさに

しんがりは気楽さうなる蟻の列

蟻んこに哀しき夜もありぬべし

蛍火の闇過去(すぎゆき)につながりぬ

限りなき追憶として蛍の火

幸福な幼な日なりし虹消ゆる

父母の晩年に垂れ青簾

蝸牛予報通りに降り出しぬ

誰そ彼の彼も見上ぐる蚊喰鳥

蝙蝠(こうもり)の没つ日ゆ来て月に舞ふ

瀬々になほ残る光や夕河鹿

夕河鹿鳴きてわが背な去りがてに

昼寝覚わが家はわが家我は我

昼寝覚中年の貌また洗ふ

昼寝覚いまだに睡る貌洗ふ

大いなる欠落として昼寝覚

昼寝覚この世の隅にひとりきり

でで虫のいづくに失せし昼寝覚

蟇(ひきがえる)一部始終を見てをりし

いつしかに蟇(ひき)の失せたる夜の底

亡きものは亡し蟇出でてしきり鳴く

天界の入口にしてお花畑(はなばた)

天に近く人々やさしお花畑

蟇(ひき)動かず昭和の闇を踏まへゐて

蝸牛に雨脚はやく降り過ぎぬ

熱帯魚買ふ宝石を買ふごとく

少女をも怖れて仔鹿親に寄る

夏シャツの男にもある乳首かな

夏シャツに中年の胸荒涼たり

ぢぢばばの仲睦まじく衣更ふ

衣更へていくばくもなく世を去りし

夏潮に眼をやり泪こらへゐる

仮病にて休む卯の花腐しかな

岸壁の母既に亡く卯波せり

いつか老いてしみじみと見む賀茂祭

卯の花に古き風吹く大和かな

吹きつのる風の傷つく花いばら

錦鯉飼ひていかにも悪い奴

基地が見え蒼海が見え鉄線花

捩花(ねじばな)の辺に拗ねてゐる女の子

百牡丹百の言葉で讃ふべし

牡丹(ほうたん)の誉めそやされて崩れけり

誉め言葉に倦みてそろそろ薔薇の散る

薔薇園の真中に夕日めくるめく

薔薇に告ぐ女の耳に囁くごと

逃げてゐるつもりおはぐろとんぼかな

青すぎる空を怖るる糸蜻蛉

蜻蛉生れまだ焦点の合はざる眼

あめんぼうばかり喜ぶ雨ばかり

あめんぼの小さき国あり四囲は陸

尺取の虚空の尺を取らんとす

尺取の嘆く如くに枝の先

水底(みなそこ)のしづけさを蟹横切りぬ

水澄(まひまひ)を見つめてをりし生き疲れ

蟷螂の生れて既に斧かざす

子かまきりすぐに散らばり修羅の場(にわ)

一匹も背かず目高向き変ふる

流さるることなく目高静止せる

鯰喰ひて陋巷へ帰りゆくなり

鮎の宿ひとりの好きな男なり

我に宿世(すぐせ)蛇にも宿世すれ違ふ

この道を行くしかなくて人と蛇

躁が過ぎ鬱の日が来る四葩(よひら)かな

雨に打たれて藻の花のいとけなし

藻の花をけふは沈めてさゝ濁る

水草の花おもかげに重なりぬ

水草の花に哀しき言ひ伝へ

竹散るを見て光陰を忘じけり

夏草にファウルフライの行方かな

ごきぶりの一つ殺せば一つ出る

ある日金魚前触れもなく死んでをり

熱帯魚ひかりの中に飼はれをり

羽蟻翔つ国捨てて国生まむため

羽蟻の屍蟻が運んでゆきにけり

蟻這ひぬある夜のひとり占ひに

蟻を滅ぼす少量の薬剤に

うろつくはすべて働き蟻なりし

赤き蟻黒き蟻ゐて交はらず

短夜の夢に忘れし筈のひと

枇杷食うべ女も蜜を滴らす

亡き父の庭下駄いまも木下闇

青蔦の葉のさ揺らぎに楽鳴れり

薔薇園の或る薔薇と薔薇傷つけ合ふ

一山をさんざめかせて青嵐

青嵐わが身もどこかさんざめく

なめくじり月の縁側ゆきゆきぬ

何遺すべきなめくじの跡光る

何見ても眼の薬なり風薫る

薫風や生れ変らば樹にならむ

ヘーゲルの話などして大緑蔭

昼顔が萎む明日はまた別のひと

昼顔の咲(わら)ふ売れない分譲地

いぎたなく昼顔にまた咲かれけり

火蛾ひとつ真闇を負へる網戸かな

夏川に小便小僧横ならび

鴨川の行方かゞよふ簾かな

腕時計外したる日の籐寝椅子

犯人もこの夕焼の中にゐる

西日中ふつふつと悪育ちをり

たまゆらをゆらゆらと浮く井守かな

井守浮く真昼淋しき町外れ

雨蛙鳴いてゐるのに晴れと云ふ

蜥蜴の尾切られて動く摩訶不思議

どくだみが咲いてゐるから嫌ひな径

子亀買ふビルとビルとの間(あわい)にて

独り者人に遅れて更衣

衣更へていよいよ軽(かろ)き存在か

羅(うすもの)にひとの晩年透くごとし

さやうなら風にちぎるる卯波かな

虹消えてどつと老けたる己が貌

涼しくて長生きしたく思(も)ふ日かな

青葉木菟(あおばずく)ひとり暮らしの一燈に

父母亡くて耳に棲みつく青葉木菟

雲海の絵葉書を売る下界かな

たまさかの雨をよろこぶ釣忍(つりしのぶ)

いくたびも白雲よぎる釣忍

蝶のよに陋巷をゆく日傘かな

焼酎に足裏(あうら)火照らせゐて孤独

焼酎や真っくらがりに何か見て

冷酒酌む夜のかなたを見遣りつつ

酔眼は涙眼に似る冷し酒

冷酒に二人の過去がすれ違ふ

冷酒にかなしくかなしく酔(え)ひにけり

夜の雨に濡れて帰りし冷し酒

水打つて女将ひとりの小さき店

夏の雨蛙の匂ひして降りぬ

芥子咲くやされど貧しき村ひとつ


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