6月

高々と六月の蝶陽に近し

夏蝶の影くろぐろと地を搏てる

海峡を越ゆる夜船や火蛾つれて

零時過ぐ柱時計に大き火蛾

ごきぶり殺す未亡人無表情

ごきぶりが逃ぐパソコンの背の荒野

いつ見ても売地と書かれ夏の草

さみしさにかはるかなしみ螻蛄(けら)の夜

少年の秘密の水辺蜻蛉(とんぼ)生る

みなかみの風美しく蜻蛉生る

衣更へても忘るべき忘られず

女郎蜘蛛代執行を見てをりぬ

父逝きし空白に撒く水たつぷり

ビルの街ひとり水打つ花舗ありぬ

父の死後梔子(くちなし)黄ばむばかりなる

草の波泳ぐ如くに草刈女

風鈴に白雲流れつづけをり

風鈴に蝶の来てゐる暫しかな

風鈴の鳴るのみ昨夜(よべ)のことも過去

風鈴が鳴る歳月を呼び覚まし

青葡萄垂れゐて酸素美味しさう

三匹の猫大人しく梅雨に入る

猫も寝て梅雨の灯を消す零時かな

けふがきのふとなる梅雨降る音の中

半眼の猫の見てゐる梅雨滂沱

ビル街のグリル真先に衣更ふ

衣更へ早くてウェイトレス寒さう

ドリンクを色で選ぶ娘星涼し

香水を変へたるひとをふと疑ふ

煌々と喪家は灯す五月闇

泣けてくる亡父の夏服小さくて

くらがりに白靴そこに亡父立つ如し

亡き父の好みし窓辺梅雨見つむ

喪の家の猫を鳴かせる梅雨の冷え

捨仔猫かろがろと抱き梅雨寒し

世を疑ひ人を厭ひて梅雨寒き

胡瓜(きゅうり)揉み七時過ぎてもあをき空

兜虫父の悲しみ知る如し

虹見つつやがて哀しき眼(まなこ)かな

働ける汗父の死を忘れしむ

蝸牛(ででむし)の如き殻欲し眠りたし

食ふばかりの毛虫見てゐる桜桃忌(太宰治忌日・6月19日)

道失せて青野の果ても青野なる

梅雨深し亡き父母に灯しおく

雪渓の耀る三日月のかたちして

雪渓に山の悲しみ残しけり

小雪渓夜は泪のごと光る

焼酎呑む人を泣かせる話して

焼酎や歳をとるとは汚れること

啄木の歌に泣きつつ冷し酒

梅酒呑む昭和時代を想ひ出し

冷酒に酔ふしがらみのなき淋しさよ

もう我を叱る者なき冷酒かな

「涼し」十一句

父死後の家の涼しさに一人棲む

美貌の人視線をそらす涼しさよ

佳き人のたちゐふるまひ皆涼し

男装の麗人りゝと涼しけり

縞馬の縞きはやかに草涼し

あれもこれも捨て涼しくなる少し

プラグ抜きプラグ抜きては家涼し

砂山のほろほろほろろ風涼し

線路音とほく聞こゆる夜涼かな

ドップラー効果涼しく踏切過ぐ

三条ゆ四条を見やる橋涼し

汝が汗か吾が汗か胸濡らし合ふ

神のまへ汗とゝのへてから拝む

夏のれん柳と揺るる小料理屋

冷麦を一人啜りて喪中なる

夕雨の香に酌み始む冷奴

父逝きし夏の蒲団も捨てにけり

そろそろ帰ろ噴水も昏れて来ぬ

歳月や同じ噴水に待ち合す

歳月や噴水いまも翼拡ぐ

饒舌な奴もの言はぬ子亀売る

打ち水に夕日枇杷色故郷なり

河鹿鳴く水を掬ぶも旅ごころ

梅雨晴のちぎれ雲見ゆ父母とほき

梅雨晴の帽子ぬぎたる気分せり

梅雨晴の父喪ひし眼に痛き

亡父の時計腕に正しき時の日よ

父の死にかゝはりもなく枇杷(びわ)太る

亡き父に夏菊の黄の灯るごと

昼顔や莫迦な女の可愛くて

昼顔が侮られつつ咲いてゐし

空梅雨か鴉の落すしやがれ声

サルビア咲いてあけすけにものを云ふ

サルビアや尻軽娘よく喋る

蕎麦にふる七味美し梅雨冷えて

海没日終ふまで見る露台かな

夕凪いで短き逢瀬いとほしむ

きぬぎぬの一語一語に朝凪ぎぬ

月光に紫煙の燻(くゆ)るテラスかな

冷房効き過ぎ画面に裸婦踊る

停電に深海魚めく涼しさよ

たましひを励まし夏河を渉(わた)る

喪疲れに供華の白百合なほ香る

百合の香を厭ふ亡き人おもひだし

白百合の未開乙女の心の傷

サルビアや下町育ち明るくて

著莪の花母のなき子が摘んでゆく

濁らざる泉見てゐる傘さして

虹消ゆな命死にゆく人の瞳に

東京の方ばかり見てグラジオラス

猫膝にしみじみ一人梅雨冷ゆる

鮎の宿一日空気すがすがし

鮎焼きてをとこの背(そびら)美しき

暫くは姿を誉めて鮎食めり

傘の影いよいよ胡蝶花(しゃが)を暗うしぬ

梅雨鯰(つゆなまず)顔出して暴れ川なり

潔き雨の降り止み初がつを

美しき水はんざきの醜(しこ)育つ

守宮(やもり)ゐる息を殺すとはこのこと

守宮鳴く父亡き家の静けさに

父逝きてひとつ殖えたる守宮かな

蜥蜴交む宝石のごと燦いて

この道しかなくてきのふの蛇に遭ふ

変へられぬ宿命を蛇すすむなり

殺すとき蛇の悲しき眼を見たり

風鈴の音にひつそりと生きたはる

噴水を基点三々五々となり

噴水を背にふんわりと腰おろす

ビール飲み干すや夕青空透けて

膝小僧痩せしと思ふ端居かな

猫鳴いて外に出たがる梅雨の月

父の背に我ありし日の夕焼かな

わが生を疑ふ夜の迷ひ蟻

恋の数かぞへてをれば薔薇散れり

薔薇活けて美貌無慚に老いてあり

薔薇に水やりて密かに心病む

喪疲れの出たる一人の森林浴

亡き父の翳の残りし籐寝椅子

死顔の寝顔のやうな涼しさよ

誘蛾灯見にゆく我も光欲り

西日中なにかに敗けてをりにけり

休日や時計外してハンモック

冷房音のみ無言で別れけり

水打つや亡父がさうせし定刻に

西日の部屋「されど我らが日々」読みき

薔薇薫る部屋終日の微醺(びくん)かな

いま捨つる父母の使ひし扇風機

捕虫網持たせて放つておきなさい

父母の在りし日のまま水中花

死んでゆく人見つめゐし水中花

喪の家のいつまでも咲く水中花

水草の花昔日を想はしむ

嵯峨野なり筍飯でもてなされ

脳天を突きて緑雨降り始む

潮騒を聴き眠らざる昼寝かな

昼寝覚父母亡き家のがらんどう

豆飯や父母在りし日の平凡に

雷鳴に真顔の猫を抱いてやる

夕立あと誰かがハーモニカ吹けり

快く淋しく汗のひいてゆく

紫陽花の藍きはまりし七七日(なななぬか)

日本酒が良し雄滝の見ゆる山ホテル

電話鳴り青嶺人間臭くなり

青嶺に入るカネの話はやめたまへ

神に遇ふ昏らさと思ふ夏鞍馬

父と見し絵地図も古りし夏の山

大青嶺夜もあをあをと月かかぐ

夏山や父喪ひし眼に大き

夏山に真向ふ生きねばならぬなり

片蔭を走る猫ゐて蔭を出ず

町家筋片蔭頒つ午前午後

片蔭や黒猫の眼の金色(こんじき)に

いつも片蔭いつもポトスが置いてある

夏至の日の降りみ降らずみ早や暗き

父母の遠さ簾(すだれ)の古さかな

亡父いまも寝てゐたるがに籐枕

きれぎれに夢を見てゐし竹枕

きれぎれの虹きれぎれの幸ありき

水更ふる亡父の金魚を死なすまじ

睦まじき番ひの金魚見て羨(とも)し

夫婦らし二匹の金魚見てをれば

景品の金魚すぐ死ぬ自嘲かな

金魚飼ひ美しき七曜となる

忌も明けて寧ろ淋しき青葉かな

山国の山の影ある植田かな

喪の家の金魚ぷかぷか酸素欲る

構はずに金魚死なしむ喪中かな

忌も明けて閑けく淋し金魚見る

忌明(いみあ)けの先づは金魚の水更ふる

哀しくて金魚いさかふ小世界

貧しくて金魚買ひ足す夫婦かな

光欲り金魚目瞑ることあらず

金魚の尾のゆらめき見つつ癒えゆくも

熱帯魚へ眼を逸らせつつ別れけり

何処へゆく忌明けの夜の蟻ひとつ

夏蒲団死にたる父の嵩(かさ)哀れ

抱擁荒し白雨(ゆうだち)の襲ふ部屋

早や客気われに真対ふ子かまきり

人生の変りたる夜の黄金虫

飛ぶことを忘れて天道虫走る

少年の夢の高さを玉虫翔ぶ

玉虫は翔べど荒れたる屋敷かな

蛍火に叶はぬ願ひありにけり

きぬぎぬの蛍となりてなほともす


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