田畑益弘
俳句新作
9月
斎場へつゞく矢印秋の風
秋風の京に七口ありにけり
歩まねば径も消えゆく秋の風
秋風や一つ喪ふ永久歯
坐しゐても心そぞろや萩の風
銀閣に銀箔あらず秋のこゑ
京町家奥に鈴虫鳴かせをり
鈴虫や夢のはじめに水流れ
各駅に停まる虫音に停まるかな
止まり木に女がひとり月の雨
上野発芋煮会へとかへる人
ピエロまだピエロのままの夜食かな
いまに死ぬ人も残る蚊を払ひぬ
秋郊や雲の影追ふ雲の影
化野のまつくらやみの鉦叩
落柿舎の殊に裏手の虫しぐれ
狐面つけてまぎるゝ秋祭
秋めくや海のもの着く二條駅
空のまほらへ秋蝶のさやうなら
さらばてふ男のことば秋燕
月光に髪光るまで母老いぬ
眼に耳に髪に膚へに秋立ちぬ
ありなしの風に我揺れコスモスゆれ
唯一語さがしゐる夜の虫音かな
見えてゐる一樹が遠し秋の蝉
かなかなや鏡の奥の幾山河
銀河より漁火ひとつ帰り来る
久闊の送信二秒天の川
横浜の九月の沖を見て飽かず
秋蝶を日暮れの色に見失ふ
海月浮く赤き灯青き灯に染みて
遠き日の遠き秋雲見てゐたり
遮断機降りてたちまちの秋の暮
夕顔にひそと裏寺通かな
流星や十七文字の訣れの詩
花野ゆくいつか一人になる二人で
秋の夜の振子時計の振子音
まだ過去にならぬ移り香秋扇
露の身の一夜の髭を剃りにけり
鈴虫や身ぬちの水もせゝらげる
くもりのち小鳥来てゐる金閣寺
沖遠く縛ひとつ解く立泳ぎ
秋水や過ぎ去りてゆくものばかり
きぬぎぬを少し雨降る草雲雀
芋の露笑ひ転ぐる時空かな
西鶴の日に穴に入る蛇を見し
八千草のどれもゆかしき名をもちて
この道になまへはなくて明治草
稲妻のふところ深き丹波かな
まつすぐに逃げたる猪は撃たれけり
からだよりこころ疲れて螻蛄の夜
あした死ぬ蜉蝣に透く夕山河
嫌なことばかり思ひ出す熱帯夜
生國はちちろの鳴けるやさしき闇
ちちろ鳴くやはらかき闇を生家とす
赤蜻蛉群れてゐて空しづかなり
腕時計の数だけ時のある雑踏
コスモスの揺れてまぎるゝコスモスに
うかうかと昏れかゝりたる茸山
草相撲痩せぎすの子が勝ちに勝ち
花道や背なで泣きをる負角力
星月夜地球の上に椅子を据ゑ
放たれし囮のとまる囮籠
新涼の弦を一本締めなほす
精魂の充満したる葡萄かな
実柘榴の見事裂けたる吉日なり
秋風や子の耳朶に穴ふたつ
萬籟の中まぎれなし鉦叩
蝗に手汚し昭和のをとこかな
虫売のそれは静かな男かな
抜けし歯は銀河の屋根に捨つべかり
大花野こどもがふつとゐなくなる
花野風ここは鈍行のみとまる
のら猫にノラと名づけて花野かな
鳳仙花一所懸命爆ぜにけり
恐竜展見てゐて残る蚊に喰はれ
初鵙に紺碧の空ありにけり
ひとけなき松虫草の盛りかな
秋高く風のせゝらぎありにけり
長き夜の猫とはオセロできぬなり
ゆつくりと地球は傾ぎ鳥渡る
雁渡し老婆が吹くと云へば吹く
久闊を叙する松茸づくしかな
松花堂弁当に秋闌けにけり
忘れてもいいことばかり草の絮
蓑虫の揺れゐて遠き昭和かな
一粒の露の中なる太虚かな
地球まろく葡萄一粒づつまろし
凶年をきれいな蝶の舞ふことよ
落鮎の落つる離宮の畔かな
小鳥来て弘法さんの日なりけり
しらしらと嵯峨野の雨や新豆腐
北嵯峨の竹伐る音を巡りけり
名にし負ふ蛇塚にして穴まどひ
日の本の秋の暮なる藁火かな
しんしんとして人恋し火恋し
くもりのち晴れてときどき秋愁ひ
大陸の匂ひするなり落花生
水澄みて近江に富士のありにけり
声量のゆたかなる空鳥渡る
自分史に落丁の章蚯蚓鳴く
水筒の番茶がうまし野菊晴
医のゆるす一合の酒温めむ
一服の向精神薬露けしや
右手より左手冷ゆる理由あり
秋雲や十で神童いまいづこ
まぼろしの竜よ麒麟よ天高き
父が炊き母に供ふる零余子飯
あさつてに食べ頃になるラフランス
残る蚊の刺す盲点といふがあり
霧の夜の抱き寄せやすき肩なりき
わが推理迷宮に入る夜長かな
どぶろくや此処は銀河の番外地
わが愛すジャン・コクトーという爽気
コンピュータひとり働く星月夜
金銀の鯉のたゆたふ月今宵
黒猫の眸の金色(こんじき)の無月かな
ひとりとは耳敏きこと秋のこゑ
みづ色の空そら色の水小鳥来る
風の名もかはりて鮎は落ちゆけり
長き夜の猫のお相手致しけり
詩の話より死の話へと夜半の秋