10月

月蒼く皆さすらへる者に似る

片減り靴秋の夕焼踏んでゐる

秋霖(しゅうりん)や農婦の大き男傘

猫の目の一途に秋の蝶それて

正視して人形哀し秋ともし

鰯雲こころかよはぬひととなり

捨て猫の集つてゐる神無月

ピカソ否カンディンスキー室(むろ)の花

夜業人睡魔にからまれゐたりけり

夜業して睡魔のからむ項(うなじ)かな

東京の谷間の底の夜業かな

燦たるビル己が影なき夜業かな

摘みそこなふ秋蝶のあえかさに

蜻蛉(とんぼう)や嘘の如くに爆心地

大空襲ありし空とぞ赤蜻蛉

花野より総身淋しくぬけてゆく

昃(ひかげ)れば花野の芯に立つ寂しさ

大花野老女縮んで縮んで消ゆ

一抜けて消えてしまひぬ流れ星

天の川ふたりのしじま守るべし

木の葉舞ふ我を苛(さいな)むしじまにて

長き夜のしじまを帰る独語かな

長生きが験(しるし)と云ひて温め酒

鮎落ちぬ月にかがよふ水流を

月白みつつ山系ゆ水系へ

月光の水閃(ひらめ)かせ櫂(かい)の音

秋の服零落(れいらく)の襟(えり)皺みけり

秋服の襟首の老い隠せざる

死が近き人のまなかひ柳散る

人絶えて自づと澄めり星と虫

オリオンの美貌いよいよ秋深む

いつまでも少年瞳(め)の中に銀河

しみじみとまたしつとりと菊月なり

大抵は猫の破りし障子貼る

マーチにもそろそろ倦みし運動会

昨夜(きぞ)の夢釣瓶落しによみがへる

しばらくは口つぐみゐる秋思かな

群集の中の一人の秋思かな

種を採る風大人しき日なりけり

しつかりと種を採りおく千年紀

愛の羽根母喪ひし胸に挿す

一盞(いっさん)に気合とふもの新走り

新走り木の香りにて飲むべけれ

鰯雲誰もあしたを知らざりし

松手入済みし夜空を蒼うせり

平城(ひらじろ)の空の広さや松手入

南禅寺三門鬱と無月なる

そぞろゆく哲学の道月の道

いもぼうを出てそぞろゆく十三夜(料亭平野屋)

時代祭眼鏡をかけた武者のをり

体育の日ゆび先だけはよく動く

老夫婦案山子(かがし)に名前つけにけり

青き絵を赤き絵にする冬支度

老い父のいよいよ早き冬支度

今年米亡き母の里遠めくも

枯蟷螂媚(こ)ぶることなく死なむとす

寂鮎(さびあゆ)に先を急げる水の性(さが)

水澄むや手話びと手話の手を洗ふ

秋澄むや手話びとの手の閃きに

水澄みて賢き小魚さ走りぬ

水澄みて気聡(けざと)き魚(いお)となりにけり

鵙(もず)の贄(にえ)ときどき星のごと光る

十月の美しき魚炙(あぶ)りけり

十月の日の賑はひも昏れむとす

豆腐屋のまへ通るとき朝寒き

さえざえと月を余せる未明かな

稲妻に寝乱れてゐる女かな

濁酒(どぶろく)を零す本音をこぼすとき

濁酒呑み嘘ばかり云ふわたしかな

濁り酒忘るべきこと忘られず

新蕎麦を啜れば遠む街の音

東京の空の片隅鵙の贄

読み入ればアリストテレス秋深む

三匹の猫おとなしき夜寒かな

猫の背のまつたくまろき夜寒かな

秋風に仏頂面を晒しゆく

酔ひ醒めの身の冷(すさ)まじき未明かな

しみじみと己が貌見つ秋深し

肌寒き二人相寄る雨夜かな

肌寒きをとことをんな出逢ひけり

汝が秋をわたしの色に染めかへて

無花果(いちじく)食ぶ騙され易き女かな

身をひくといふこと秋の潮のやう

愛しすぎて嫌はれてゐる花カンナ

夜業人痩せたる月を見ることなし

夜業人またぶつぶつと独りごつ

夜業人見ないテレビがついてゐる

夜業人ほとりにラヂオ鳴つてゐる

白桃を啜る静寂(しじま)を背(そびら)にし

独り居の密かに桃を吸はむとす

独り居に色鳥の来る暫(しま)しかな

色鳥に和む暫しを日課とす

鳩吹けばひとりぼつちの音がする

鳩吹いていよいよ独りひとりかな

稲刈るや今も昔もうつくしく

この国の稲刈るをんな美しき

囮(おとり)守る少年すでに煙草知り

端座して父は仏間の障子貼る

かの案山子後ろ姿は爺に似て

老人と子供と案山子村を守る

灯さねばならぬいのちの秋蛍

汝は見て吾は見落とす秋蛍

秋の蜂去りゆく空のがらんどう

残る蜂陽にまみれつつまぎれつつ

あはあはと供華(くげ)から供華へ秋の蝶

秋の蚊の人をえらびて刺しに来る

水澄むや人をえらびて寄る鯉に

秋祭カルメ焼など懐かしみ

添水(そうず)の音去来の墓にとどきけり

竹春の竹ばかり濡る日照雨(そばえ)かな

美しく竹伐つてゐる醜男(しこお)かな

茸狩り一番乗りと思ひしが

地芝居の笑ひながらに斬られけり

地芝居の死んだ男が起き上がる

青北風(あおきた)に心ゆるめばつけ込まれる

馬肥えて旅の淋しさまぎれたる

母逝きて虫籠(むしかご)の虫放ちけり

きりぎりす逃がして我も歌ふかな

中年に歌ふ唄なきぎすの昼

しづごころ薄(すすき)とともに吹かれけり

母亡ければぽつんと父や秋簾(あきすだれ)

老い父のよすがの燕帰りけり

瞑(めつむ)れば我が身ぬちさへ虫の闇

こほろぎと無明長夜(むみょうちょうや)を同じうす

梨喰(は)みてまことに目もと涼しけり

梨喰みて彼女の声のすずやかに

我孤独父も孤独や胡桃(くるみ)割る

彫刻と胡桃の好きな父である

胡桃いつも父の机の抽斗(ひきだし)に

父が割る胡桃を母が食(た)うべけり

山幾重雨幾度の帰燕かな

秋燕の眼に残照の幾山河

握り飯頬張りつ見る帰燕かな

人知れず椎の実降れる星夜かな

穴惑ひ未だ林檎の樹の上に

霧が降る誰(たれ)かがすすり泣くやうに

夜業人言葉喪ふ輪転機

星空へ煙草吹かせり夜業人

蛇穴に入る白昼の秘密かな

一位の実紅し愛知らぬ唇に

生くるとは忘れ去ること木の葉舞ふ

渚(みぎわ)にてイーゼルを立つ秋の昼

秋のひる心も画布も白きまま

しろがねに湖心の光る秋まひる

手すさびに自分を素描せり秋日

ポケットに文庫歳時記秋燕忌(十月二十七日、角川源義忌)

独り酌む菊月の夜のしづけさに

胸襟(きょうきん)を開くといつも秋の風

轡虫(くつわむし)寝相の悪きをんなかな

母の亡き父の余生の菊枕

末(うら)枯れてけもののをらぬけものみち

秋草を切り傷の血で汚しけり

孤りゆゑ孤りに香る檸檬(れもん)かな

墓すでに石と化しつつ草の花

事無げに終る一日の流れ星

朝寒を言ひて一人とすれ違ふ

朝寒の駅蜘蛛の子を散らしけり

うそ寒く唇薄き二人かな

うそ寒やどこ曲がつてもビルの谷

うそ寒やガラスの扉踏めば開く

落柿舎の土間なぞ覗きうそ寒し

門灯をともしてよりのそぞろ寒

母逝きて父の覚えしとろろ飯

疲れたる紙幣に風の冷(すさ)まじき

人つ子ひとりゐぬ冷まじき月下かな

約束の刻冷まじき風の中

孤独なりぎす鳴いてゐる風岬

艸(くさ)といふ淋しきものにきりぎりす

きのふより一日老いたりきりぎりす

きりぎりす白昼夢見て淋しけれ

きりぎりすまだ鳴いてゐる岨(そば)の月

草の花さすらひびとを慰むる

空港にひとと別るる草の絮(わた)

無縁墓地空あをければ草の絮

宿酔(しゅくすい)の耳火照(ほて)りゐて昼の虫

すがれ虫思ひ出しては鳴きにけり

松虫にみづいろの空昏れてゆく

松虫澄むひとりぽつちの少年に

草雲雀(くさひばり)鳴きをり誰も争はず

秋深き隣家のピアノ音こもる

襟首に齢(よわい)隠せぬ秋寒し

猫鳴いて寄れば撫でやる夜寒かな

賀茂に沿ひ二人歩きて秋惜む

秋暮るるテレビの前に父ぽつり

いたはりぬ父の背姿身に沁みて

古疵(ふるきず)を見つつ摩(さす)りつ身に沁むる

身に沁むや過去を語らぬ人とゐて

秋の日矢(ひや)むかし兵たる父の背に

たまゆらの日照雨にも秋惜しみけり

父の椅子亡き母の椅子秋深む

蓑虫の揺る切れさうで切れぬ糸

片脚の精霊(しょうりょう)ばつた歩きけり

偉さうに跳べども飛蝗(いなご)そこにゐる

ビルの底それは小さな運動会

白鳥の来るまへの空がらんとす

鶴来ると寒くなること潔し

新走り一息に呑む気合かな

秋耕のまこと休まぬ人々なり

凩(こがらし)をぬけて己れを取り戻す

雲を見つ雲影を見つ秋惜む

囚はれの身にあらざれど夜業かな

夜業せり月の虜(とりこ)になりしごと

三秋を星の虜となりゐたり

「考へる人」の気づかぬ草の絮(わた)

寝たきりの老人の庭藪がらし

結界の如き一間の桔梗(ききょう)かな

桔梗白し無明長夜の人界に

桔梗愛でいつも和装の寡婦なりし

鶏頭花近視の眼にもよく炎ゆる

鶏頭を見て離れゆく顔昏るる

菱は実にむかしむかしを塞ぐよに

竜胆(りんどう)に屈み祈れるやうなひと

放課後の恋のほとりの猫じやらし

末枯(うらがれ)をひたゆく女身仏めざし

末枯に佇(た)つは背姿ばかりかな

末枯の景に人の背を見てをり

ふと気づく末枯の只中にゐる

時代祭アスファルト踏む蹄鉄音

故郷を去る秋草に手を触れて

寂鮎にせめて佳き酒しつらへよ

夜食摂る哀しき音よ湯の滾(たぎ)り

コーヒーの滾り哀しき夜業かな

墓洗ふ父いつしかに骨ばつて

コンピュータ操りし手に墓洗ふ

虫の夜の寝つきの早き女かな

瞑れば脳の芯まで虫音澄む

似顔絵を描かす貧しき秋灯下

天の川万巻の書のひそとあり

残る蚊になどて別れしひと思ふ

いとど跳ねそそくさと日の暮れてゆく

そこはかと父の秋ゆく母亡くて

小鳥来て老いたる者は皆ゑまふ

青みかん洟垂れ小僧いまいづこ

蓑虫や昔はみんな貧しくて

其処此処に人を点じて天高し

秋高し点となるまで船を見て

旅人の足止むるとき野菊咲く

憤るこころ高きに登らしむ

水草紅葉あの世のやうに塔うつる

荻の風河童のやうに子の遊ぶ

秋の虹見てしまひたる不倖せ

秋の虹水面(みなも)に溶けてしまひけり

蒼穹に絡みて炎ゆる烏瓜(からすうり)

ささやかな悩みと思ふ天の川

御弁当ひとり食ぶる子松虫草

日本変らず蓑虫に宙揺れて

つくづくと我が影痩する十三夜

小鳥来てをり恙(つつが)ある日々なれど

旋毛(つむじ)へと露の必ず落ちにける

わたくしとあなたの齟齬(そご)に秋の風

母の遺影に秋風を遮(さえぎ)れず

凩が吹く心根を暴くよに

世紀昏る死に遅れたる蝿飛んで

冷(すさ)まじき墓石バーゲンセールかな

めぐり逢ふありし霧夜のそのままに

秋果盛り母在りし日の卓に似る

地下街を出でて雨月へ階のぼる

誰も彼も眠たそうなる昼の虫

柚子(ゆず)の香に父が母恋ふ夕餉かな

花野ゆくいつも後ろに亡母がゐて

花野より花野へ夢のつづきかな

大花野抜け人生に戻りけり

木枯しへ五体の螺子(ねじ)を締めて出る

凩をさらに怒らすビルがある

木の葉舞ふ道人生を急いでをり

無月なりプラネタリウム出でし眼に

秋しぐれ寺町に入りやり過ぐす

秋郊に黄昏(たそかれ)てゐる彼の人も

秋思去りまた秋思来る雲に連れ

秋ついり木魚の如く猫眠る

秋ついり水舐めて猫また眠る

猫傷を舐めて治して秋終る

伝書鳩この秋天に道あるらし

秋の雲ノートパソコンに挟みゆく

また増ゆる食後の薬秋深む

たまさかにママも酔ひゐて秋深し

秋深きカウンターゆゑ酔ひつぶる

止り木に一人残りて秋惜む

そこはかと人去り秋を終らしむ

落穂拾ふ無名のをとこをんななる

落穂拾ふ人と終(つい)に眼の合はず

落穂拾ふ入日を拾ふ急がねば

冬近しアスピリンのむ水の冴え

冬近し多めに句帳買ふことも

パイロットになりたい子ゐて秋高し

魔界とはこの闇のこと牛祭

誰も見てないから野菊咲いてゐる

野菊咲く河原の石に守られて

残菊となる傍らに父佇てば

つるべ落しけふの疲れは脚に来て

鏡拭き秋霖の貌拭きにけり

落花生の殻捨つ己が手くらがり

哄ふとは狂ふに似たり大花野

醒めねば死ぬ白昼夢見し花野かな

ゑまひつつ死なむ花野の只中に

もう一度去来の墓へ秋惜む


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