8月

八月のセピアにくすむ戦(いくさ)かな

釘抜けば苦しく歪む八月なり

黒服に耐えねばならぬ残暑かな

風と人すでに秋めく町外れ

別の世の如しよ残る蛍ゐて

夜の深さ残る蛍にはかりけり

死に給ひしよかなかなに急かされて

臨終の刻々かなかなしぐれかな

赤まんままだまだ遠くゆくつもり

逢へばすぐ別れ始まる花木槿(はなむくげ)

ゆつくりと生きねばならぬ木槿咲く

たまゆらの日照雨(そばえ)ありしと花木槿

火の山の火の鎮もりし炎天下

みづうみの凪の淋しききりぎりす

まなうらは火の赫さなるヒロシマ忌

黙祷の八月の陽の赤く黒し

眼鏡から汚れて帰る残暑光

一念の千々にくだけて鰯雲

頭(ず)の中に雑念(ぞうねん)満つる残暑かな

新涼の上着片手に町外れ

母の忌やつくつくほふし吾に鳴く

新涼の風の奥津城(おくつき=墓)母葬る

母の里すでに母亡き盆の月

母の忌の美しく昏る赤蜻蛉

夕空に風のせせらぐ蜻蛉かな

蜻蛉来る昏れつつ青き潦(にわたずみ)

淋しさの我が肩に来よ赤蜻蛉

盆の月五臓の一つ暗く病む

死の淵に母の微笑む盆の月

京洛をまつくらにして大文字

大文字暗き盆地のはづれより

夏河の底ひを見せぬ碧(みどり)かな

稲妻に現(うつつ)の闇の深さかな

稲妻にのつそりと蝦蟇(がま)光りけり

ひきがへる子供に腑分けされてをり

蟷螂(とうろう)よ己れの客気(かっき)羨しけれ

中年に雑念(ぞうねん)多き西鶴忌(陰暦八月十日)

愛執になほ暑かりし西鶴忌

くちなはよ来世は花に生まれ来よ

短夜の電話淋しい女かな

秋刀魚焼けば母在りし日の夕空なり

ふうらりと鬼の捨子(=蓑虫)の気楽かな

少年が鬼の捨子になりたがる

蓑虫(みのむし)の樹下に襤褸(らんる)の男かな

梨食うて淋しがりやのわたしかな

孤独なり梨さりさりと齧りゐて

孤独なり梨を剥く音おのれ聴き

かなかなに昏るかなかなに昏れはじめ

蜩(ひぐらし)に山国の水冷えまさる

蟷螂に感情ありて怒りけり

風の奥密かに蜻蛉生れけむ

蒟蒻(こんにゃく)の刺身よろしき夏夕べ

革命も勝利も杳(とお)き麦酒かな

冷酒に酔ひては馬鹿とまた思ふ

冷し酒聞いてゐぬのに呟(つぶや)きぬ

もてなしの酒を呑みゐる溽暑かな

懇(ねもご)ろに眼鏡拭きつつ夕端居

しあはせと思ひこみつつメロン食ぶ

萍(うきくさ)の生ふを愛とも不信とも

水銀の如く輝(て)る波サーファーに

今朝秋と思ふクロワッサンちぎりつつ

珈琲の胃の腑に沈む夜の秋

ゆで卵裸にしゆく今朝の秋

褪せし写真飽かず眺めて秋に入る

秋の馬臀(しり)より肥えて光るかな

人生に負けし男に蚯蚓(みみず)鳴く

秋の声弥勒菩薩の聴き澄ます

鰯雲天に哀しき渚あり

秋の蝉終着駅に鳴いてをり

とほざかりとほざかり秋蝉になり

昼餉さへ忘じてをりし残暑かな

病院の空瓶置場晩夏光

夕日あつまる吐き棄てし枇杷の種

北の湖の砂吐く蜆(しじみ)涼新た

新涼や鮎の胴より抜きし骨

暑気払ふ牛の肝臓煮て食ひて

今朝秋やスクランブルエッグ花のやう

たまさかに泥鰌(どじょう)など食ふ夜の秋

霧の中人のうごけば霧うごく

川の魚(いお)喰みて涼しき胃の腑かな

物体の如く臥(ね)てゐる原爆忌

西日中淋しき燐寸燃え尽きぬ

山葵(わさび)咲き吾が来し方を寂しうす

茄子漬を頂く朝のいつも晴れ

たまさかの雨に静もる夜の秋

蠍座(さそりざ)の尾の沈みゆく夜の秋

冷し酒いよよ無口になつて来し

夏草に首なし仏見て帰る

ためらふな泰山木の花咲ける

星飛ぶや願(ね)ぎ事もなき暗き眼に

白鳥座ブラックホールに夏逝きぬ

高層都市虹の断片ぶらさがる

帰省して足でテレビを点けにけり

足で足掻きつつ寝ねて夏蛙(なつかわず)

天地(あめつち)の大き溜息夏終る

殺すべき蝿殺さざり母の忌なり

秋めくや諦めに似るこころとも

秋の星一つ定めて亡母とせり

秋の星若き鋭(と)ごころ思ひ出づ

指をもて辿る山河や夏惜む

朝焼けて都市はコンクリート群塊

東京の轟(とどろ)いてゐる夜霧かな

原爆忌一つにならぬ怒りあり

現実のとほくにありし昼寝覚

噴水のほとり醒めゐる午前二時

回送車数輛よぎる夜涼かな

西日中暴言のごと鉄打つ音

立体の感じなきビル秋天に

コンピュータが仕事してゐる星月夜

勤め人の背な皆淋し秋の暮

医師の眼がわが眼を覗く無月かな

秋風や罅(ひび)の入りたる身と思ふ

新涼や肋骨(あばら)に触るる聴診器

八月のママは煙草を吹かしをり

勤め人の何するとなき夏休み

時計屋に時計しかなき涼しさよ

花舗の涼しさ水系に入る如し

いつ見ても食ひをるゆゑに毛虫憎む

人を愛し人を憎みて夏深き

夏雑沓青年の声まぎれざる

透明のガラスの重き秋が来る

汝が秋の派手な化粧を淋しと思ふ

わが知らぬわが身冷やか心電図

秋嶺へ酸素を吸ひにゆくところ

行商の濡れたる銭や秋しぐれ

力つくし屍をはこぶ蟻を見てゐる

胃カメラの光を想ふ無月かな

夏草や猫ゐるらしき鈴の音

物の怪の影見しやうな茂りかな

物の怪の婆娑(ばさ)と音立つ茂りかな

松蝉をひとつ鳴かせて潮騒ぐ

玻璃に触るそのゆびさきに秋立ちぬ

秋の渚何かの欠片光りけり

水晶体透きて万物秋の澄み

水晶に未来の見ゆる秋愁ひ

赤まんま既に少女は母となり

海峡を越え来て秋の蝶となり

しばらくは道連れなりし秋の蝶

冷やかに人を見下ろす観覧車

吾と汝(なれ)にふたつの家路夏終る

たつぷりと月浴びて来て酒場にゐる

掌を開き掌を見る秋の灯をともし

重き扉の閉る音せり秋の暮

放浪のこころ抑ふる夜業かな

菊の香の占むる訣別とこしなへ

秋白雲翼の如し哀しけれ

腕時計の精密見えて秋に入る

蜘蛛醜し美しき線紡ぎつつ

ちちろ虫わが呟きに鳴きやみぬ

わがままをゆるしてしまふ夜の短さ

過ぎし日にともる火の穂(ほのほ)や大文字

柞葉(ははそは)の母のおもかげ大文字

若者の笑ひ下品に真夏の夜

咽喉(のみど)にせり上がつてくる海夕焼

酔ひ痴れてわからなくなり夏終る

広辞苑読む夏果ての虚しさに

秋に入る時計の針と針の影

涼新た朝の浅蜊の味噌汁に

秋光に人体模型透けてゐる

タクシーの中でキスして夏逝かしむ

一人づつ孤独になつて秋に入る

夏草に意志あり我を阻むべく

冷さるる度に賢き馬になる

慟哭の如く女が髪洗ふ

夜は秋の平均余命数へをり

逢ふもよく逢はざるもよく秋めきぬ

秋風にひとの瞬き素早けれ

目を澄まし秋刀魚売られてをりにけり

灯を逸れて天の川へとひとりむし

自づからともる灯のある虫の宿

秋蝉の遠たかぶりに昏れ始む

鈴虫や同じ時刻に一家寝る

穂薄(ほすすき)と同じ色して雨過る

一葉落つ骨身に沁みるてふ言葉

一葉落としいよいよ高くなる雲よ

風に散り水に流るる柳となり

木犀(もくせい)の香に雨脚の白かりし

木犀を深々と吸ふ独りかな

人生は永き錯覚蚯蚓(みみず)鳴く

蟷螂の眦(まなじり)にある忿怒(ふんぬ)の世

猪(しし)を知る古老一人となりにけり

ひとつ鳴き更に遠くに秋の蝉

秋蝉をひとつ鳴かせて町外れ

汝と飲むワインの色の秋入日

まざまざと竹青きゆゑ伐らむとす

秋の蝶何に急かるる吾ならむ

秋扇忘れて頼りなきこころ

秋扇棋士の長考深深と

灯火親し己が著書にて面映ゆく

鳥渡る金波銀波となりにけり

螻蛄(けら)を聞くがらんどうなる心かな

穴に入る蛇にも後ろ姿かな

竹伐つて心機一転したる空

秋鯖の青きに見惚れ買うて来し

夜食摂るおのれ食ふ音おのれ聞き

夜食摂る柱時計の音聞きつ

しみじみと紫煙の燻(くゆ)る夜食の後

くらがりにファクシミリ鳴る夜業かな

パソコンの辺(へ)のみ明るき夜業かな

障子貼つて父の座椅子の位置変る

秋燈や再び挑む哲学書

ヘーゲルと格闘しをる秋燈(あきともし)

父の夢に亡母顕(た)つといふ菊枕(きくまくら)

存(ながら)ふる父の早寝の菊枕

出でむとし百舌鳥(もず)に啼かるる背広かな

初鵙(はつもず)に心機一転すべき日か

葬りし眼に秋潮の藍深き

秋の浜喪ひしもの今いづこ

爽やかに財布を空にして帰る

爽やかや紙飛行機を折るこころ

無月なりビルの谷間の群集に

満月や善男善女皆ゑまふ

秋高き屋上の人手を振りぬ

きのふより空が高くて切なくて

高層の窓の開かぬ秋愁ひ

冷やかに電子メールで諍(いさか)ふも

雨月にて酔ひに睡魔のからみくる

街道にコンビニエンス飛蝗(ばった)とぶ

秋に入る影の濃きひと淡きひと

たまさかに四条へ出でし秋暑かな

一目に瞭然一山秋の色

秋雲を愛してやまぬ独歩(どっぽ)かな

独り歩けば旅愁にも似て秋白雲

またパンを焦がして鵙に啼かれけり

鳴きやめば山家のともる法師蝉

きのふよりけふの遠さの秋の蝉

秋風のなか骨張つて木の如し

かなかなや逢魔ヶ刻(おうまがとき)の水の色

淋しくば大盛りにする夜食かな

秋声(しゅうせい)を早やほのと聞く場末かな

いわし雲ひとを恋ほしむ場末にて

飛蝗とぶその寸前の静止かな

一人づつ減りゆく家族鰯雲

鰯雲亡母の故里遠ざかる

コンビニの裏に臥てゐる案山子(かがし)かな

天高く無為の愉しき一日(ひとひ)なり

死ぬるまで真顔なりけりちちろ虫

まろび寝の一隅に鳴く昼の虫

枇杷色に昏るる水ありとんぼうに

もの言はぬ男となりて夜業かな

おし黙り二三人ゐる夜業かな

冷やかな人と思はる吾が微笑

冷やかな眼に見られゐる会社かな

てつぺんに早や日の照れる松手入

をちこちに離れて鳴くよきりぎりす

風の径風のまにまのきりぎりす

きりぎりす腹の底より淋しくなる

独りきりになりたき日なりきりぎりす

しんかんと日のうつろへるきりぎりす

古語辞典枕に聴きぬ秋のこゑ

鉦叩(かねたたき)己が命を数へけり

深閑と死ぬる命に添水(そうず)鳴る

赤蜻蛉より赤きものなし亡母の里

とんぼうの交(つる)むやかろくうつくしく

奔放に生きてみよとぞ天高し

うごかざる絹雲のある秋高し

秋晴るる彼と吾との遠会釈(とおえしゃく)

爽やかに過る眼と眼の会釈あり

男の背傷だらけなる秋夕焼

あぎとひて鯉の血を吐く秋夕焼

幽(かそ)かなる母の遺言秋の虹

日もすがら野分棲みつく水無瀬川(みなせがわ)

野分中をんな抱くこと思ひてゆく

電波塔電波の見えぬ天高し

静もればしづもるほどに秋のこゑ

蝿の屍が水面(みも)に浮いてゐる静けさ

いつまでも売地のままの猫じやらし

場末とはこのあたりなる猫じやらし

同棲の窓から見えて猫じやらし

A棟とB棟の間の猫じやらし

秋蝉のひとつ響かふ夕山河

きれぎれに悔よみがへる秋の雲

挙(こぞ)りたる手のみ明るき踊りかな

のけぞりて踊り子の貌恍惚と

恍惚のとき踊り子の四肢揃ふ

白帝の蹠(あうら)さやかに乾きけり

砂浜の砂さやかなる蹠(あうら)かな

何事か独りごちをる夜業かな

秋天や必ずたれか死にたがる

秋晴れて遠く行きたき遠目かな

秋晴れて見えすぎる眼の恐ろしき

駱駝(らくだ)ゐて白犀(しろさい)のゐて土さやか

中華そば食べに出でしよ夜半の秋

飛蝗とび白日輪を過(よぎ)りけり

白日やはたはたの跳ぶ小さき影

乾坤(けんこん)の渇きの極み飛蝗の音

秋の浜ひとりが好きだからひとり


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