俳句 田畑益弘俳句の宇宙

田畑益弘 俳句 短歌


1月

バリウムを呑まねばならぬ腹寒き

杳(とお)き国の少年兵よ地球儀の蒼き部分が不意に哀しい

凍天や姿の見えぬ金属音

億だとか兆ばかりなり新聞に目を落としつつパンを齧(かじ)りぬ

逢ひたしと逢ふまじは振り子時計よ右脳左脳を日々揺れてゐる

寡黙なる待合室のストーヴよ

冬晴の如く床屋を出でにけり

時々は哀しくもなる人間のことにんげんのこと考へてゐて

独りごと癖になりたる冬籠(ごも)り

乳首より氷の裸像溶けてゆく

刈りたての頭(ず)も冬晴の一部かな

ガラス屋のガラスガラスに冬晴るる

一月の一本道を行かむとす

寒林にブロンズの裸婦佇めり

暖炉燃ゆ赤の他人と打ち解けて

母逝きて父と二人の湯豆腐よ

てつちりは好き大阪は嫌ひなり

泪出て水つ洟(ぱな)出て嫌な日だ

見飽きても名画は名画古暦(ふるごよみ)

瞑(めつむ)れば目裏(まなうら)の闇橇(そり)の鈴

悴(かじか)みてひと待つカラス哄笑す

悴んでゐて警官に質(ただ)さるる

寝酒してなほ寝つかれぬ夜のありぬ

アンテナも電波も揺るる虎落笛(もがりぶえ)

裏日本とふ言葉ありしよ雪に雪

撫でてやり飼ふはめになり捨仔猫(すてこねこ)

わが病魔吾のみが知る寒さかな

宇宙の果ても見得るわれらが十年の先の暮らしを案じてをりぬ

食へぬ人なほ数多ゐる地球にてあなたは何度宙返りする

冬眠といふこと羨(とも)し勤めゐて

2月

かのひとに逢ふまじと決む寒茜(かんあかね)

哀しくともわたしは泣かぬ枯木見る

セーターを抜けてにきびの顔が出る

床板の破れに黒き冬の海

麗人の毛皮の狐われを見る

つつましく生きよと寒波襲ひ来る

丈高き人を喩(たと)へてジャイアント馬場みたいと言ひしよこれからも言ふ

在りし日の母住まふよに思はれて三面鏡を開いてみたり

鏡台に亡母の香水いまも置く

重ね着の如きをんなの肉体(からだ)かな

焼芋や夜空(そら)より暗き鞍馬山(くらまやま)

未明にて猫の入りくる蒲団(ふとん)かな

冬河や君生きてあれ細くとも

雪だるま並んでをりし日本海

凍つる夜の来向(きむか)ふ人を怖れけり

凍つる夜をなにゆゑに行く沓(くつ)の音

冬蝿を宥(ゆる)して金を数へをる

孤立せり冬の蝶見て泪して

ただならぬわが身の芯の寒さかな

北風(きた)荒ぶ街角われも絆(きずな)欲し

虫絶えて孤独ぎつしり耳の穴

なぐれゆく大飛球あり春早き

恩師なほ厳しく寒き頬されて

凍蝶(いてちょう)が陰画の如く眼に焼き付く

きつと我に何かが起こる春の海

逃げ水や喪ひしもの何々ぞ

木は枯れて待つ矛(ほこ)もなく盾(たて)もなし

八月六日、八月九日終らざる「被爆証人を捜しています」

暖炉燃ゆ猫の寝顔の恍惚に

星生れ星死ぬけふのキャンプかな

ひと責めて春いまだしき風の中

春の夜へ出してくれろと猫の鳴く

年金で暮らす父あり蜆汁(しじみじる)

ささやかな金をよろこぶ啓蟄(けいちつ)か

春雪や少女ピアノを習ひ初む

礼(いや)深き青年と会ひ冴返る

ウヰスキー喇叭(ラッパ)呑みせり冬怒涛

雑踏にひよこ売らるる春寒き

春風の黄色きひよこ売られをり

古帽子捨てわが冬を終らしむ

宝くじ買ふも春待つこころかな

卒然と翔(た)つ凍蝶の白凄(すご)き

つめたきもの何か我が身に潜みをり

冬灯(ふゆともし)眼窩(がんか)に深き闇生みぬ

冬の猫膝に眠らせ夕惑(まど)ひ

風花のひとひら鼻に来て融くる

何事かそそのかすよに寒暮来る

流感や待合室の眼窩濃く

頑固者頑固な風邪に弱りをり

えんぴつの先丸むよに春隣(はるとなり)

独語落し寒さの底と思ふかな

Kaoriとふ見知らぬひとのメール来て心ときめく春未だしも

鏡見て寒き仮面よ中年の

いつ来ても噴水若し飽かず見る

放し飼ひされゐる猿の群れ見をり檻にも似たる小屋の窓より

愛猫をビデオに収むその死後を思ふゆゑなれど吾も死にゆく

まろらかに背筋の凹(くぼ)む春灯(はるともし)

朝風や音符のやうに黒揚羽

春昼のうらがはに愚痴こぼしけり

 3

あいつはもうやけくそなんだと云はれゐるそのとほりなり母逝きしより

外人の眼にはこう映ってゐるなどとよく云ふ自分の眼で見よ

癌め!と詠ひつつ逝きし人ありき癌とも知らず逝きし母ありき

蝶を見て哀しきことも甦る

車窓吾に手を振る童(わらべ)畔青む

ひと泣かしわれも傷つく早春譜

拾ひたる仔猫の初潮月きよら

啓蟄の土を足裏(あうら)に猫帰る

フラミンゴシンメトリーに水は春

(S.キューブリック氏追悼)

2001年見ることもなく逝きし人の想像力を超ゆるや我ら

氏が聴きし神の鼻唄残響せり「ツアラトゥストラかく語りき」

わたくしはあなたになれぬ春愁ひ

結婚はせぬ同棲の水中花

二人して寝つきの悪き春夜かな

屈折し浮游してゐる出目金よ

生きやうか蟻がなにかを曳いてゆく

童児やはく麦に負けつつ麦踏みぬ

新しき人よ書類よ四月憂し

見てみたる吾が臍の緒(へそのお)に春日射す

蟻出でて黄泉(よみ)の母など知らぬと云ふ

不発弾見つからなくて地虫出る

屋上にのぼる春雲掴(つか)めさう

お彼岸の母の墓にて父に遇ふ

啓蟄や切りて血の出る鼻の下

貝寄風(かいよせ)や国捨てし人流れ着き

春雷の似合ふ若武者ゐずなりし

春の野の一皮剥けば地雷かな

中年のふらここ二人星の下

ジャム塗つてバターもぬつて春あした

なにゆゑにヒヒや怒れる麗(うらら)かを

オムライス食(たう)ぶ仕合せ春の昼

春愁や流行歌には愛あふれ

麦青むおいてけぼりの老人に

怒り肩撫で肩となる春暮かな

飛べるものみんなUFO目借時(めかりどき)

鳥帰りゆく亡母(はは)のやうな白雲

女身より輪郭ぼやけ春の暮

春場所のざんぎり頭出世せよ

落椿(おちつばき)不倫の如くひとと逢ふ

源の一縷(いちる)を想ふ水の春

一縷この大河となりて春悠々

沈丁(じんちょう)のかほりの外へひとかへる

アンニュイや意外に繁き春落葉

通りやんせ聞こえたやうな母子草

クローバに轍(わだち)残して還らざる

芽吹く木々新幹線をやり過ごす

春蚊鳴く亡母の香残る小抽斗(こひきだし)

蜂空へひかりの中にひかりつつ

永日(えいじつ)の携帯電話またも鳴る

猫の眼に蝶はらはらと舞(も)うてをり

母の手を頼みたのみて入学す

遠足や亡母のおにぎり美味(うま)かりき

春眠の平泳ぎして空飛べり

おもてうら綺麗に食(たう)ぶ蒸鰈(むしがれい)

鶯餅(うぐいすもち)食べて確かな茶の熱さ

永訣(えいけつ)の涙あるいは花粉症

海峡を越ゆるつもりの柳絮(りゅうじょ)なる

人影なく面影ばかり春ともし

永き日のむかし上司の面やつれ

愛なんてホルモンのアンバランスと賢(さか)しらに言ふ砂漠の如し

釘抜けて春の失意を思ひ出す

風光る負けて笑ふ歯美しき

花薔薇にま昏き迷路精神科

墜とされて蝶は影から死ににけり

二分ほど竜の化石を見て遅日(ちじつ)

春の闇たれかカレーを食べてゐる

われ思ふこの春泥ぞ邪馬台国

イザナギとイザナミ遊ぶ春の泥

風船が見えなくなつて世紀末

春の虹この世が終るなどと云ふ

白子(しらす)の眼ひととき海を見たろうな

月曜日薔薇の迷路を歩み出す

春泥に遊ぶ子秋津島生めよ

卒業の己れの泪不思議なりき

一生を浪費してゐる春の雲

妄想を見たくなければ現実をじっと見つめよ屍(し)を見る如く

国家とか民族といふ幻想が目覚し時計きりきりと捲く

踏む者のゐぬ処女雪を見てをりぬ滅んだ方がいいのぢゃないか

春睡のいまのはキスと思はるる

巨きな手春の大河を蛇行させ

中年の特権のごと朝寝せる

朧夜(おぼろよ)の不思議に足の向くところ

青年の自負傷つけて花薊(はなあざみ)

春満月そんなに脳を引張るな

雑俳(季語の力を確かめるために)

黄昏の氷河へ数歩死に急ぐ

大都市や灯をつけたまま眠りませう

疾駆して村の空気を脱けにけり

吾が国境汝(な)が国境の冥さかな

哭いても哭いても泪を吸ふ砂漠

魔羅(まら)といふ不思議な位置にゐるわたし

人混みのたれか必ず人殺し

心電図首から下の他人かな

中年や見えざる傷が袈裟懸(けさが)けに

鉛筆の尖(さき)にだけ今のいまがある

死してまた羊水游(およ)ぐ魚とならむ

雨あがりどこからとなく原始人

陸橋に一望したる侏儒(しゅじゅ)のくに

田園に死す田園が死んでゐる

野放しの猿を見てゐる自己嫌悪

水色は空色不意に孤独な眸(め)

うまさうに山羊は言葉を喰(は)みにけり

時計合すつまらぬ大人になりしよ

アメーバを見て来し眼にてヌード見る

栄光の下着泥棒夕映えて

警官がニヤニヤしてる怖い街

追走か遁走か中年過(よぎ)る

砂時計見つむる己(おの)が命かな

そのままにしておくいつもの石ころ

 


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